三波伸介_(初代)とは?

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三波伸介 (初代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/12 13:50 UTC 版)

三波 伸介(みなみ しんすけ、1930年昭和5年)6月28日 - 1982年(昭和57年)12月8日)は、日本コメディアン俳優司会者タレント。本名・澤登 三郎(さわと さぶろう)。昭和期を代表するテレビスターのひとり。東京府東京市本郷区(現在の文京区)出身。血液型はB型。長男は喜劇役者の2代目三波伸介(旧名・三波伸一)。




  1. ^ 東宝傘下。初井言榮らが在籍していた。
  2. ^ 石井の時代からキャバレーとはある芸能事務所が仲介していたため、三波の失踪を隠す意図があった。これ以前にも度々三波の代役を伊東が務めている
  3. ^ 「にせ三波伸介」という表記は伊東四朗著『この顔で悪いか』や伊東本人とのインタヴューに拠る。
  4. ^ 西条昇『笑伝・三波伸介―びっくりしたなあ、もう』2000年、風塵社、58頁から引用「(三波は)『ここで伊東をクビにするのは何だから、三人でやろうか。』(伊東の述懐証言から)」。営業先と馴染み人気になっていた伊東を外す訳にはいかなかった事情があった。
  5. ^ 石井均一座解散と三波の復帰時期については資料によって違いが見られ、西条昇『笑伝・三波伸介―びっくりしたなあ、もう』では一座解散後にコンビから転じたトリオに復帰としている。
  6. ^ a b c ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』109ページ
  7. ^ ただし、息子の2代目三波伸介はこの説を否定している。以下「喜劇役者二代目三波伸介オフィシャルブログ」の「母の話 その11」より引用(2012-6-14閲覧)(引用開始)「そんな訳ないでしょう!!//イタズラと本当に倒れているのは明らかに違います!/母はすぐに気づきましたよ!/すぐに救急車の手配もしてます。/確かに母は/「私がいれば良かった!パパを一人にするんじゃ無かった!パパを一人で死なせた事は生涯、背負っていく!」/と叫んでいました。/しかし複数の医師の判断は/「発作が起きて十数秒で意識を失っています。/例え医師が横に居ても助けるのは難しい。奥様、ご自分を責めない様に」との事です。/母の名誉の為に記しました。」(引用終了)
  8. ^ 大抵中村メイコの役名は本名である(神津)五月で、概ね三波と中村は夫婦役だったが、ある時には嫁姑、またある時には幼なじみなどいくつかの設定があった。
  9. ^ 当時の芸能界において喜劇役者の代表といえば映画の渥美清、舞台の藤山寛美、そしてテレビの三波を指すのが通例であり、三波はテレビでの成功を収めた後、今度は渥美と藤山のライバルとして彼らと同じ舞台で競うことを新たな目標にしていたとも言われる。
  10. ^ 『笑点』の収録会場である後楽園ホールの近くにある。
  11. ^ 2代目三波伸介、8日に襲名 45歳息子「思いを継ぐ」 - 朝日新聞、2009年12月7日
  12. ^ 27年ぶり2代目三波伸介誕生「新しい東京喜劇目指す」 - 日テレNEWS24、2009年12月8日
  13. ^ アンデルセン物語”. メディア芸術データベース. 2016年10月29日閲覧。
  14. ^ 驚きももの木20世紀の放送一覧


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