林美雄
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林 美雄(はやし よしお、1943年8月25日 - 2002年7月13日)は、日本のアナウンサー。
- ^ 柳澤健「1974年のサマークリスマス 〜林美雄とパックインミュージックの時代〜」、『小説すばる』より。
- ^ a b c 日外アソシエーツ 編『現代物故者事典 2000〜2002』日外アソシエーツ、2003年3月25日、500頁。ISBN 4-8169-1769-1。
- ^ a b c “70年代のカリスマ 林美雄アナ死去”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社). (2002年7月14日). オリジナルの2002年10月15日時点におけるアーカイブ。 2019年4月14日閲覧。
- ^ NHK杯全国高校放送コンテスト アナウンス部門[リンク切れ]
- ^ a b c d 1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代(柳澤健・著、集英社 2016年5月31日)pp.332 - 333
- ^ 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、238頁。OCLC 166924883。"1967.4<12期生> 8人入社(男8) 青木靖雄 石森勝之 河野通太郎 小口勝彦 久米 宏 林 美雄 宮内鎮雄 米沢光規"。
- ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、21-22頁。"67.4 <12期生>8人入社 青木 靖雄 石森 勝之 河野通太郎 小口 勝彦 久米 宏 林 美雄 宮内 鎮雄 米沢 光規"。
- ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、22頁。"1967年11月15日 『アナウンサー研修室』設置 <アナウンサー研修室付兼ラジオ第一制作部勤務者> 今村 稔、小川哲哉、車尾具昭、五味陸仁、桐本幸子、手塚俊子、本田綾子、岩崎直子、遠藤泰子、藤田恒美、堀川恵子、堀川友子、青木靖雄、石森勝之、小口勝彦、久米 宏、林 美雄、宮内鎮雄、米沢光規、河野通太郎"。
- ^ 1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代 p.97 - 99
- ^ a b c d e 月刊ラジオパラダイス 1987年4月号特集『深夜放送20周年ぐらふぃてぃ』内・林美雄インタビュー より。
- ^ 1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代 pp.197 - 209
- ^ パック・イン・ミュージック 昭和が生んだラジオ深夜放送革命(伊藤友治+TBSラジオ 編 DU BOOKS、ディスクユニオン)p.462 - 466
- ^ パック・イン・ミュージック 昭和が生んだラジオ深夜放送革命 pp.500 - 503
- ^ 1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代 p.324 - 329
- ^ 1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代 pp.328 - 329(小島慶子による代弁)
- ^ 取材・文:山野井春絵; 撮影:殿村誠士 (2021年7月19日). Yahoo!ニュース オリジナル特集編集部: “自分は「団塊ジュニア世代の代弁者」――安住紳一郎が語る、令和のおじさん総括論”. Yahoo! ニュース. 特集. Yahoo Japan. 2021年7月25日閲覧。
- ^ ただし、2000年4月から2001年9月までは除く。
- ^ 林が2002年に死去した後も、追悼の意味を込めてしばらく使用されていた。
- ^ 1994年10月からは『だんとつ林の午後はどーんとマインド』として放送。
- ^ 1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代 pp.329 - 330
- ^ 1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代(柳澤健・著、集英社 2016年5月31日)pp.332 - 333
- ^ “林美雄 - 略歴・フィルモグラフィー”. KINENOTE(キネノート). 2017年4月7日閲覧。
- ^ 1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代 p.336 - 340
- ^ 1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代 p.274 - 276
- ^ 中国新聞 日刊 2016年10月9日28面『V7 私の鯉心(6) 久米宏さん』
- ^ 月刊ラジオマガジン 1985年3月号 20-25ページ「追悼特集 さようなら永遠のスーパーDJ 糸居五郎さん」
- ^ 「小説すばる2013年10月号・1974年のサマークリスマス・林美雄とパックインミュージックの時代」(3)
- ^ 競輪痛快丸かじり ギャンブルの帝王はジツに競輪だった! 阿佐田党武大派
- ^ a b c d e f 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、238頁。OCLC 166924883。"林 美雄 R「パック」「一慶・美雄の夜はともだち」「オーレ!チンタラ歌謡曲」 TV「ハッスル銀座」「日曜ヒットスクリーン」「テレポートTBS6<スポーツ>」"。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、21-22頁。"林 美雄…R「パック・イン・ミュージック(70)」「東京赤坂歌謡曲(74)」「土曜だ!夜の歌謡曲(74)」「一慶・美雄の夜はともだち(76)」「飛び出せ!ホリデー(79)」「林美雄のとんでもナイト(80)」「オリベッティ・ブックレビュー(81)」「パノラマワイド〜ヨーイドン!(81)」「歌謡ワイド昼一番(82)」「スタジオ100チャンネル(85)」「ザ・ヒットパレード(86)」「夜はこれから(87)」「赤坂ライブ(87)」「オーレ!チンタラ歌謡曲(93)」「サンデー・スポーツまるかじり(93)」「午後はど〜んとマインド」 TV「ハッスル銀座(77)」「チャーミングおくさま(77)」「光る崖(77)」「ミイドナイト・グラフティ(79)」「日曜ヒットスクリーン(81)」「モーニングジャンボ(82)」「テレポート6<スポーツキャスター>」 ★映画ファン団体から“76年度日本映画大賞”が送られる。"。
- ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、27頁。"1979年4月 *ラジオワイド新番組開始 「大沢悠里ののんびりワイド」 「山田二郎の土曜だワッショイ!」 「音楽とスポーツのワイド とびだせ!ホリデー!」(林 美雄)"。
林美雄
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「パックインミュージック」の記事における「林美雄」の解説
林美雄担当の火曜日(初期は金曜日2部→のちに水曜日)は、山崎ハコ、荒井由実、石川セリ、緑魔子、原田芳雄 等の歌手を積極的に紹介。 ニュース番組の架空のネタ「苦労多かる ローカルニュース」人気を集めた。 提供は架空企業の下落合本舗を名乗り、この架空企業の架空製品のCMも放送された。たとえば「豚型湯たんぽブーブーちゃん」など。 水曜日担当時代にはTBSラジオの夜のワイド番組『夜はともだち』の新設に伴い、当時火曜日担当の小島一慶とともに担当した。 林のニックネームは「ミドリブタ」。オープニング テーマは、ブッカー・T & The MG's の『タイム・イズ・タイト』であった。 その他、以下のコーナーがあった。「下落合本舗」- パロディCMの案を募集していた。 「ユア・ヒットしないパレード」- 「いい曲だけど、何となく消えてしまいそうな曲」を中心に紹介していたコーナーなど。このコーナーをきっかけに、南佳孝の『モンロー・ウォーク』がヒットする現象が生まれた。 エンディング テーマは、映画『青春の蹉跌』のテーマ曲(井上堯之)、一時期、映画『フォロー・ミー』のテーマ曲(ジョン・バリー作曲)であった。2010年、映画『フォロー・ミー』のオリジナル・サウンド・トラック国内盤が初CD化された際、映画監督の周防正行が、ミドリブタ・パックを「十代の頃、夢中になって聴いた」などの思いをライナーノーツに記し、オープニング・ナレーション「月夜のブタは恥ずかしい。ずんぐり影が映ってる。がに股足で坂を下り、夜空見上げりゃ、あ、星二つ、ブ、ブー」も紹介した。
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