主な審査員(初期では特別顧問と呼ばれていた)
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「料理の鉄人」の記事における「主な審査員(初期では特別顧問と呼ばれていた)」の解説
岸朝子 - 番組アドバイザー。鉄人や挑戦者の紹介を数多く行っている功労者。福井から「料理記者歴40年」という枕詞で紹介されていた。平野の出演が減ってから(中期-)は末席での審査員としてほとんど出演。出演の際の「おいしゅうございました」が有名になった。後期には細木数子や石井好子らがその座に着くことが増え、出演は少なくなった。基本的には鉄人寄りの判定が多かった(特に道場とはお互い懇意にしていることもあり、非常に甘かった。)一方、中村孝明には厳しく、鉄人ワールドカップ決勝では、17-16でアラン・パッサールの勝ちと判定した。 浅野ゆう子 - スペシャルになると必ずこの人が登場する事から「ビッグマッチのレギュラー」と言われた。 平野雅章 - 岸朝子に請われて審査員に。初期では最も多く審査員を務める。頭に「かの(北大路)魯山人、最後の愛弟子」と紹介。後に「最後の愛」の表現は削除された。入れ歯らしく、「硬くてかめない」といったコメントも。 石井苗子 - 初期に出演。挑戦者に対して辛口な評価が多かった。 高田万由子 - 初期~中期ではほとんど毎回、審査員。「おいしい」「この味、私好きです」が多かったので、視聴者だったタレントなどからネタにされた。留学先からわざわざ帰国して出演したり、毎回審査に際しては悩むが、ルール上禁止されている「両者同点」を付けたこともある。道場とはそりがあわず、コメントもほとんど相手にされず、「(梅の味をそんなに効かせたいなら)あそこの梅干を取ってきて食べればいい」などと突き放されることもあった。 栗本慎一郎 - 番組全期間を通じて1枠の審査員を務めた。ほぼ月1~2回のペースで出演していた。1回だけ3枠の審査員を務めた。 景山民夫 - 栗本と並んで出演頻度が高かった。逝去後のOAでは、追悼のテロップが流された。 秋元康 - 番組全期間を通して、不定期に年1~2回程度審査員を務めた。 喜多嶋舞 - 初期に数回出演。後に高田万由子にその枠を譲った。 蔡瀾(チャイ・ラン) - 香港ゴールデン・ハーベスト社副社長(当時)。ほとんどの作品に否定的で、「まずい」「おいしくない」も平気で言う。香港特番で初登場し、その強烈なキャラクター性から特番審査員の常連となった。激辛の審査で、特に坂井や陳には厳しかった。その一方では道場には「素晴らしい、悪く言いたくても言えない」と高い評価を与え、アラン・パッサールに対して審査した3回とも20点満点の評価を与えるなど、辛口一辺倒の審査とは限らなかった。 加納典明 - 後期の準レギュラー審査員。チャイ・ラン同様、辛辣なコメントが多く、特に鉄人には厳しかった。彼推薦の挑戦者を送り込んだこともある。 梅宮辰夫 - 挑戦経験あり。審査員を務めたレギュラー放送最終回での最強鉄人決定戦・決勝では、(辛口批評のチャイ・ランを含む)他の4人の審査員が20-19としたが一人だけ17-16としたり続いて行われた世界最強シェフ決定戦でも、唯一アラン・パッサールの勝ちと判定したことがあった。 細木数子 - 「テレビはコミュニケーションの場」と言って後期にノーギャラで出演していた。また、「まずい」といった発言も多く見られた。基本的にはチャイ・ラン、加納典明と同様辛口の審査であった。ちなみに細木本人も料理の腕は玄人はだしで、後の愛のエプロンなどでその腕を披露している。 石井好子 - 片岡鶴太郎 -
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主な審査員
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「三宅裕司のえびぞり巨匠天国」の記事における「主な審査員」の解説
市川森一 高城剛 大林宣彦 大島渚 永井豪 武藤起一 石山亮 鴨下信一 高橋伴明 森重晃 大鶴義丹 - 登場は末期のみ。 椎名桂子 グーフィー森 - イカ天から引き続き登場。登場は初期のみ。 デーブ・スペクター キース・ホールマン ハリー・ランバート - 当時練馬区に在住していた。 スクリーミング・マッド・ジョージ 審査員は固定ではない。審査員6名のうち1人はゲスト審査員枠であり、相原勇やプロレスラーの大仁田厚、小川範子、林美雄、竹中直人などがゲスト審査員として出演した。
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主な審査員
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「三宅裕司のいかすバンド天国」の記事における「主な審査員」の解説
1989年3月25日までは審査員5人体制。4月8日放送分から7人体制となった。この番組の審査はたとえば、吉田「とても好きです(中略)ただAメロがあまりにも8分音符が続いてそこをちょっと…」萩原「いや、アレいいですよ」銀次「おれも好きだな」三宅「あ~、いま吉田さん猛ひんしゅくを買いましたね」吉田「いま、とてもあせってしまいました」というやりとり(因にこの言い合いが展開されたバンドは第4代イカ天キングのイエロー太陽sであった)があるように、政治的なかけひきのない厳しいながらも和気藹々としたものであった。 1990年3月まで 萩原健太 音楽評論家、審査員長。よく出場者をフォローするコメントを出し『フォローの達人』『イカ天の良心』とも言われる。米米CLUBの海外レコーディングに同行して番組を休んだ時も、自費で自分の人形を作り自分の席に置いていったこともあった。ただ「フォローのしようがない」「こんなバンド完奏させちゃいけない」という発言があるように甘い審査というわけではない。審査員の中では出場バンドの全曲を放送前に見ることを唯一許されていた。 中島啓江 オペラ歌手。美形好きと公言し、美形の男が出てくると眼鏡をかけることもあった。この番組がきっかけでその後、村上“ポンタ”秀一とレコーディングすることになる。 吉田建 ベーシスト、アレンジャー、プロデューサー。冷めたような口調で『何、それ?』『やめてよ』『何でこんなバンド、予選通すの?』などの辛口コメントが多く、一方で『今日は厳しいことを言い過ぎて、すみません』と謝る一面もあった。そうしたキャラクターから一時期女性週刊誌に載るほどの人気となる。特に電子楽器シーケンサー打ち込み系グループを一切認めなかった。 伊藤銀次 初期のナイアガラメンバーでもあることから面白好きな一面を番組では見せた。プレイヤー的な視点のコメントでは「建&銀次」というコンビにされることも多かった。 グーフィ森 謎のタクティシャン。舞台の演出家だったり、音楽プロデューサーだったりするらしい。フグの調理師免許を持っており、それをネタに三宅にいじられることも多々あった。現在は福山雅治のプロデューサー。 村上“ポンタ”秀一 ドラマー。吉田建がメインとなっていた『LOSER』(泉谷しげるのコンサートバンド)・『JAZZ MASTER』(沢田研二のコンサートバンド)のドラマーだった関係から出演したと思われる。 湯川れい子 内藤陳 ハードボイルド作家として紹介されていた。 四方義朗 一度だけ三宅の代理で司会を務めたことがある。 ラッシャー木村 プロレスラー。元国際プロレスのエース。マイクパフォーマンスを得意とする。「耐えて燃えろ!」の名言を残す。なお、他の審査員がスタンドマイクであったのに対し、ラッシャーだけはハンドマイクだった。 1990年4月から 田中一郎 (審査委員長を務めることが多かった。1990年3月以前にも審査員経験あり。視聴者から『アンパンマン一郎』のイラストが届いたことがあった) 斎藤ノブ(パーカッショニスト。視聴者からのイラスト『おにぎりノブさん』でも話題になる) 鳴瀬喜博(カシオペア) PANTA 難波弘之(キーボーディスト) 森雪之丞 (作詞家)(視聴者からのイラスト『ウルトラマン之丞』でも話題に。ウルトラマン之丞はキャラクターが立って着ぐるみも作成され、番組末期には冒頭でショートストーリーを演じていた) 相沢行夫(NOBODY) 木原敏雄(NOBODY) 是方博邦(ギタリスト)
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主な審査員
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「福知山市佐藤太清賞公募美術展」の記事における「主な審査員」の解説
絹谷幸二洋画家(独立美術協会) - 日本芸術院会員、東京芸術大学教授 中路融人日本画家(日展) - 日本芸術院会員 福田千惠日本画家(日展) - 日本芸術院会員 草薙奈津子 - 美術評論家平塚市美術館館長 大矢鞆音 - 美術評論家 畑智子 - 京都文化博物館学芸課長 安田晴美 - 福知山市佐藤太清記念美術館顧問 絵画に関わる専門家が各分野から集まり審査が行われる。
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主な審査員
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「星期六我家的電視・三宅裕司の天下御免ね!」の記事における「主な審査員」の解説
萩原健太 - イカ天から引き続き審査委員長として登場。コラージュの惨敗の要因をルックスにあると分析。 麻生圭子 高城剛 三代目魚武濱田成夫 松蔭浩之 このほか、プロのドラマーなども審査員として出演している。
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主な審査員
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 13:39 UTC 版)
審査委員長:赤塚不二夫(第1回 - 第68回、平成元年度上半期 - 平成20年度上半期までは手塚賞の審査委員長も兼任) - 2000年以降は意識不明の状態が続いたまま、2008年に死去したことから、晩年は形式的なものであった。 1990年代:永井豪、楳図かずお、秋本治、徳弘正也、うすた京介、小栗かずまた、ガモウひろし、週刊少年ジャンプ編集長、月刊少年ジャンプ編集長、週刊少年ジャンプ副編集長、他 2010年代:澤井啓夫、うすた京介、増田こうすけ、森田まさのり、大石浩二、つの丸、麻生周一、週刊少年ジャンプ編集長、ジャンプスクエア編集長、週刊少年ジャンプ副編集長、他 現在:うすた京介、増田こうすけ、大石浩二、つの丸、麻生周一、週刊少年ジャンプ編集長、ジャンプスクエア編集長、週刊少年ジャンプ副編集長、他
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