主な審判試合
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1987年 第59回選抜高等学校野球大会決勝・PL学園 – 関東一の球審。 1988年 IBAFワールドカップ(世界選手権)決勝戦の主審。 1992年 バルセロナオリンピック協賛アマ・プロ交歓試合の塁審。 1992年 第74回全国高等学校野球選手権大会 2回戦・星稜 - 明徳義塾(松井秀喜5打席連続敬遠)の球審。 1993年 第75回全国高等学校野球選手権大会決勝・春日部共栄 - 育英の塁審。 1993年 IBAFインターコンチネンタルカップ(インターコンチネンタル杯)決勝戦の主審 。 1994年 第66回選抜高等学校野球大会決勝・智弁和歌山 – 常総学院の球審。 1994年 IBAFワールドカップ決勝戦の主審。 1995年 アトランタオリンピック開幕戦 アメリカ合衆国 - ベネズエラの主審、他計12試合で審判員。 1995年 第77回全国高等学校野球選手権大会決勝・星稜- 帝京の球審。 1996年 第78回全国高等学校野球選手権大会決勝・松山商 - 熊本工(「奇跡のバックホーム」)の球審。 1997年 第68回都市対抗野球大会決勝・日本生命 – 日本通運の球審。
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主な審判試合
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1978年8月31日のロッテ - 阪急戦でライト側外野審判(今井雄太郎による完全試合達成) 1980年のオールスターゲーム第3戦で球審(巨人・江川卓のオールスター初登板) 1984年のオールスターゲーム第3戦で球審(巨人・江川卓のオールスター8者連続奪三振) 1986年の日本シリーズ第8戦で球審 1987年川崎球場でのロッテ - 西武戦。ロッテの攻撃で打者佐藤幸彦の時、2塁走者の水上善雄が3塁盗塁。捕手伊東勤が3塁へ送球したが、この時、投球を見送った佐藤が伊東の送球を妨害したとして球審をしていた五十嵐が佐藤に対して守備妨害を宣告。ロッテ側から抗議が来た時、1塁コーチの土屋弘光が「自然な動きだろ。逃げようがないじゃないか!」と抗議すると、五十嵐は左手に持っていたマスクを力いっぱいグラウンドに叩きつけ「冗談じゃないよ!!」と怒鳴り返した。すると、当時監督だった有藤道世が「バカ!あっち行ってろ」と1塁コーチの土屋を追い返した。 1988年10月19日のロッテ - 近鉄ダブルヘッダー第2試合で3塁塁審(10.19) 1989年10月12日の西武 - 近鉄ダブルヘッダー第1試合(ラルフ・ブライアントの4打数連続本塁打の内、第1試合での3打席連続ホームラン)で球審 1990年6月6日の日本ハム - 近鉄戦で2塁塁審(ブライアントの東京ドーム天井スピーカー直撃の認定ホームラン)。 1992年の日本シリーズ第7戦でライト側外審 1993年の日本シリーズ第4戦で1塁塁審(飯田哲也のスーパーバックホーム) 1994年の日本シリーズ第6戦で球審(長嶋監督初の日本一達成) 1996年の日本シリーズ第5戦で3塁塁審(オリックス初の日本一達成) 1998年の日本シリーズ第6戦で2塁塁審(横浜ベイスターズ38年ぶりの日本一達成、これが五十嵐が出場した最後の試合となった)
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主な審判試合
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1973年第55回記念全国高等学校野球選手権大会 2回戦・作新学院0 - 1x 銚子商業(延長12回)の3塁塁審 1978年第60回記念全国高等学校野球選手権大会 準決勝・中京(現 中京大中京) 4 - 5x PL学園(延長12回)の球審 同年の決勝・高知商業 2 - 3x PL学園の1塁塁審 1979年第51回選抜高等学校野球大会 準決勝・PL学園 3 - 4x 箕島高校(延長10回)の1塁塁審 1983年第55回記念の上記大会 準決勝・明徳(現 明徳義塾高校)1 - 2 池田高校の球審 1983年同大会 決勝・池田高校3-0横浜商の球審(池田高校夏春連覇達成) 同年第65回記念全国高等学校野球選手権大会 準決勝・池田高校 0 - 7 PL学園の1塁塁審 1984年第66回全国高等学校野球選手権大会 準決勝・金足農業 2 - 3 PL学園の球審 同年の決勝戦・取手二高 8 - 4 PL学園(延長10回)の3塁塁審 1985年第67回全国高等学校野球選手権大会 準々決勝・高知商業 3 - 6 PL学園の1塁塁審 同年の2回戦・東海大山形 7 - 29 PL学園の球審 同年の決勝戦・宇部商業 3 - 4x PL学園の球審 1980年代中盤には畠山準、水野雄仁らを擁する池田高校と、桑田真澄、清原和博、立浪和義らが所属するPL学園が高校野球史上に残るチームであったため必然的に「名勝負」に関与する回数が多かった。没後、高校野球の名勝負を数多く体験した審判として朝日新聞の「追悼」の記事に掲載された。
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