審判として
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2014年のオフ、手術した右足首の状態や年齢を考慮し今後の選択肢を決めるべく様々な話を聞く中、面識のあった国際副審の名木利幸の「まだJリーガーからプロのレフェリーになった人は誰もいません。そして、それは求められています」という言葉にピンときて、プロフェッショナルレフェリーを目指すことを決意。富山とは複数年契約が残っていたが、2015年1月に富山との契約を満了とし、複数のクラブからのオファーを断って現役を引退した。 現役引退後、「(審判になるつもり)だったらウチの入社試験を受けてみたらどうか」と誘われた、Jクラブ関連の仕事を手がけていた山愛に入社。キャリアサポート事業部の一員として平日はJリーグ選手へのキャリアサポートを行い、週末は審判の活動を行うという生活を送っている。 2015年末に3級審判員の資格を取得。2016年10月の2級審判員試験に合格、2019年には第一種(社会人等)の審判ができる1級審判員の資格を得た。 2019年11月10日の2019明治安田生命J3リーグ第30節・福島ユナイテッドFC対カマタマーレ讃岐戦(とうほう・みんなのスタジアム)でJリーグ公式戦の主審を務め(他にJ3の副審を13試合担当)、2020年シーズンは正式にJリーグ担当審判員(主審)として試合の割り当てが行われることが発表された。2022年3月6日には2022明治安田生命J1リーグ第3節・横浜F・マリノス対清水エスパルス戦(日産スタジアム)で、初めてJ1リーグ戦での主審を務めた。
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審判として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/21 19:01 UTC 版)
2006年ワールドカップ・ドイツ大会で、上川徹主審、韓国の金大英(キム・デヨン)副審とのグループで審判員に選出され、グループリーグのポーランド対エクアドル戦と、イングランド対トリニダード・トバゴ戦で副審を務めた。さらに、日本人審判としては初めて3位決定戦・ドイツ対ポルトガル戦の副審も務めた。 国際審判員は45歳が定年となっているため、2006年のワールドカップが最後の機会(当時44歳)となった。 また、1993年のJリーグ発足時から副審を務めていたが、2008年限りで引退。 2009年からは日本サッカー協会のトップレフェリーインストラクター(主に副審を担当)として後進の指導に当たっている。
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