廣嶋禎数
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/21 19:01 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動個人情報 | |||
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誕生日 | 1962年5月22日(59歳) | ||
出身地 |
![]() 大阪府大阪市 | ||
国内 | |||
年 | リーグ | 役割 | |
1992 - 2008 | Jリーグ | 副審 | |
国際 | |||
年 | リーグ | 役割 | |
1994 - 2007 | FIFA登録 | 副審 |
廣嶋 禎数(ひろしま よしかず、1962年5月22日 - )は、大阪府大阪市出身の元サッカー審判員。高等学校の保健体育科教諭でもある[1]。
経歴
- 小学5年生のころからサッカーを始める[2]
- 大阪府立藤井寺高等学校で本格的にサッカーに取り組みMFとして活躍
- 大阪体育大学在学中、関西学生サッカー連盟の幹事長を務める
- 大学卒業後、大阪府立長野高等学校保健体育科教諭となる
- 1990年 - 1級審判員資格取得
- 1993年 - Jリーグ発足と同時に副審を務める(2008年まで)。
- 1994年 - 国際副審登録(2007年まで)。
- 2006年 - ワールドカップ・ドイツ大会で日本人5人目のW杯審判に選出される。
- 大阪府立長野高等学校教諭、サッカー部顧問をする傍ら、週末にJリーグの審判という多忙な日々を送っていた[3]。
- 2009年 - 日本サッカー協会トップレフェリーインストラクター[4]
- Jリーグ(J1)初主審:2008年7月26日 川崎フロンターレ対名古屋グランパス戦(等々力陸上競技場)
- Jリーグ(J1)初副審:2012年7月28日 [[]]対ガンバ大阪戦(ホームズスタジアム神戸)
- Jリーグ(J2)初副審:2011年9月19日 徳島ヴォルティス対FC岐阜戦(鳴門・大塚スポーツパークポカリスエットスタジアム)
- Jリーグ(カップ戦)初副審:2018年3月7日 ヴィッセル神戸対V・ファーレン長崎戦(ノエビアスタジアム神戸)
審判として
2006年ワールドカップ・ドイツ大会で、上川徹主審、韓国の金大英(キム・デヨン)副審とのグループで審判員に選出され、グループリーグのポーランド対エクアドル戦と、イングランド対トリニダード・トバゴ戦で副審を務めた。さらに、日本人審判としては初めて3位決定戦・ドイツ対ポルトガル戦の副審も務めた。
国際審判員は45歳が定年となっているため、2006年のワールドカップが最後の機会(当時44歳)となった[5]。
また、1993年のJリーグ発足時から副審を務めていたが、2008年限りで引退。
2009年からは日本サッカー協会のトップレフェリーインストラクター(主に副審を担当)として後進の指導に当たっている[4]。
エピソード
- 2008年7月26日のJ1第19節、川崎フロンターレ - 名古屋グランパス戦(等々力陸上競技場)の後半8分、主審の柏原丈二が負傷のため第4審判に回り、この試合で副審を務めていた廣嶋が急遽主審として試合を裁くという一幕があった。廣嶋はこれまで、J2の主審を5試合担当したことはあったが、J1の主審を務めたのはこの時が初めてであった。
- 尚、廣嶋は2008年シーズン限りで審判員を引退した為、この川崎 - 名古屋戦がJ1公式戦で主審として笛を吹いた生涯ただ一度の試合ということにもなった。
- 2010年2月1日、「JFAこころのプロジェクト 夢の教室」で夢先生を務める[6]。
受賞歴
決勝担当
関連項目
脚注
- ^ 「こころの再生」百人衆メッセージ:廣嶋禎数さん 大阪府教育委員会
- ^ W杯(ワールドカップ)の副審に本学OBの廣嶋さん OUHSスポーツ5号(2006/07/03付)
- ^ サッカーW杯で 名副審OB廣嶋さん活躍 OUHSスポーツ6号(2006/11/30付)
- ^ a b プロフェッショナルレフェリー3名と新たに契約 日本サッカー協会(2009/02/05付)
- ^ もう一つのワールドカップ ニュースの合間のひとり言 - YTV・横須賀ゆきのコラム(2006/05/30付)
- ^ 【夢の教室】廣嶋禎数氏が初の夢先生 JFA こころのプロジェクト 夢先生(2010/02/01付)
外部リンク
固有名詞の分類
- 廣嶋禎数のページへのリンク