奇跡のバックホーム
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奇跡のバックホーム(きせきのバックホーム)
- 奇跡のバックホーム (書籍) - 横田慎太郎の著書。及びそれを原作としたテレビドラマ、映画。
- 第78回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦の試合で起きた松山商・矢野勝嗣右翼手によるサヨナラ犠飛を阻止したプレー。詳細は第78回全国高等学校野球選手権大会決勝を参照。
奇跡のバックホーム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 21:37 UTC 版)
「第78回全国高等学校野球選手権大会決勝」の記事における「奇跡のバックホーム」の解説
延長10回表、熊本工は井が右翼に入る。松山商は渡部が一塁ライナー、石丸が右翼フライ。向井が右翼前ヒットで出塁するが、久米が三振で無得点。 10回裏、熊本工の攻撃開始前、ベンチで澤田は既に疲れを見せていた新田に声をかけたが新田の「行けます」の一言で続投を決意した。しかし熊本工の先頭打者・星子が左中間を破る二塁打を放つと、澤田は新田を右翼の渡部と交代させた。続く園村の送りバントで一死三塁。ここで澤田は過去に同じサヨナラの場面で2回負けた苦い思い出があることから、満塁策を決断する。松山商は1969年夏の第51回決勝、対三沢戦で延長15回裏の一死二、三塁、16回裏の一死一、三塁のピンチをいずれも満塁策で切り抜け、延長18回引き分けに持ち込んだことがあった。渡部は野田、坂田を敬遠して一死満塁とし、打席に3番本多を迎えた。 このとき、渡部に代わって右翼の守備に就いていた新田は守備の交代を望んでいた。新田は甲子園の三回戦で一度右翼を守っただけで県大会では一度も守っていなかった上、一度も右翼守備の練習をしたことがなかった。一方の澤田も右翼の守備交代について、27年前の決勝のように延長が長引いた場合に備え新田を交代させずにおくか、この場を確実に凌くことを優先して守備固めを出すべきかで迷っており、結果的に、左打者のロングヒッターである本多なら右翼へ打球が飛ぶ確率は低くないと判断、さらにこの時、何処からともなく『今を逃れなかったら後はないんだぞ』という声が聞こえた事もあり 、右翼守備の交代を決断した。 新田に代わる守備固めに起用された矢野勝嗣(まさつぐ)は背番号9を付けた正右翼手で春の甲子園でも先発出場していたが、その後新田と渡部の先発二本柱が確立、新田が先発の時は渡部が右翼に入るという起用法をとっていたことから甲子園でもスタメン出場は渡部が先発した2試合のみと控えに甘んじていた。加えて打撃不振に陥っており、スタメン出場した準決勝では三打席目で代打を出されていた。それでも矢野は腐らず、一塁コーチャーとしてチームを脇から支えていた。澤田は右翼へ向かう矢野に「信じてるぞ」と声をかけた。突然の交代となった矢野は、右翼へと着いた後肩を回して返球に備えた。 プレーが再開され、打席に立った本多は初球、高めのスライダーを振り抜いた。打たれた瞬間、渡部はホームランだとサヨナラ負けを覚悟した。「代わったところに打球は飛ぶ」の格言通りに右翼に飛んでいった大きな当たりは、NHK総合テレビの実況である高山典久アナウンサーが「行ったー! これは文句なし!」と言ったほどの大飛球であった。 だが、打球は甲子園特有の強い浜風に押し戻され失速、右翼線際へのフライとなった。背走していた矢野は一瞬打球を見失いかけるも、前進して捕球、それと同時に三塁走者の星子はタッチアップし、サヨナラ勝ちを確信する状況でも全力で走っていた。この一連のプレーで田中は「犠牲フライには十分な飛距離だ、勝った」、澤田も「あ、終わったな」と思ったといい、打った本多自身も犠牲フライだと手応えを感じた一撃であった。一方、カットマンに返球していたのでは万が一にも間に合わないと判断した矢野は、前進して捕球した勢いそのままに力任せにバックホームするも、二塁手と一塁手の頭上を大きく越える山なり送球となってしまった。一塁塁審の桂等はとんでもなく高い返球に「これで終わった」と思い、松山商の捕手・石丸も、普段の練習でも矢野が幾度となく大暴投を繰り返していたことを思い返し「またやったか」と星子のタッチアップ成功を覚悟した。送球は3塁側に逸れたため石丸はホームベースから離れ、送球のライン上、3塁ファールラインの上で構えた。 しかし距離にして80mを超える矢野の返球は甲子園の浜風に乗り、石丸の捕球体勢を見てその前をかすめるように右足からのストレートスライディングを敢行した星子の目の前を通ってミットへダイレクトで収まった。それとほぼ同時にミットとヘルメットが接触した。星子はスライディング後、両手を広げて「セーフ」を、石丸はボールの入ったミットを高く差し上げ「タッチアウト」をそれぞれアピール、一塁側ファールグラウンドで見ていた田中美一球審はアウトを宣告した。タッチが行われた瞬間、星子の右足がベースに届いていなかった写真が撮影されている。星子のスライディング体勢でベースに届かず、星子の体に送球捕球が妨げられず、星子の体にぶつかるという条件を満たした箇所での捕球だったからこそであり、ボールが逸れたことも幸運であった。少しでも球がずれていればセーフとなる、奇跡に近いピンポイントの返球である。ダブルプレーで熊本工は3アウトとなり、絶好のサヨナラ勝ちの機会を逃した。星子は信じられないような表情を浮かべ、犠牲フライを確信し一塁手前でバンザイをしていた本多は、そのまま呆然と立ち尽くした。なぜあの深い位置からの返球でアウトになったのかと、球場は興奮とどよめきに包まれた。テレビではNHKで「フォースプレーですからタッチがいらない」(すぐさま訂正している)、テレビ朝日系列の中継(当時の朝日放送が制作)では「(返球が)ホームベースまん真ん中に来ましたね」と誤った話をしてしまうほどであった。 バックホームした矢野当人はクロスプレーの状況こそはっきりと見えなかったものの、一塁手の今井が踊るように喜んでいるのを見てアウトと知り、飛び跳ねるように引き揚げてきた。そんな矢野を、澤田はベンチで強く抱きしめた。 ちなみに、朝日放送制作のテレビ中継で実況を担当した中邨雄二は、「奇跡」という表現を一切交えずに一連のプレーを伝えていた。中邨は、スポーツアナウンサーとしての大先輩に当たる植草貞夫が同局で勤務していた時期に、高校野球をはじめスポーツ中継での実況経験が豊富な植草から「『奇跡』なんて簡単に起こるものではない。『奇跡の』や『世紀の』といった派手な表現を本当に使っていいのかを、きちんと吟味できないと一流のアナウンサーとは言えない」と教わっていた。本人が朝日放送テレビの定年(60歳)を間近に控えた2022年の初頭に語ったところによれば、「試合後から報道などで『奇跡のバックホーム』と呼ばれるようになってからは、実況で『奇跡』と言わなかったことを何年も後悔していた。このような葛藤を2012年頃に(野球中継の実況から既に退いていた)植草へ打ち明けたところ、『「奇跡」という言葉を使わなかった君の判断は正しいと思う』と言われたので心が晴れた」とのことである。
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