奇跡のカムバック
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「ラファエル・クーベリック」の記事における「奇跡のカムバック」の解説
1973年にはスイス国籍を取得。1986年に持病の関節炎、痛風の悪化、また作曲に専念するために指揮者を引退した。しかし、1989年にチェコで民主化革命が起きたのを契機に、ハヴェル大統領の強い要請で亡命先のイギリスから帰国し翌1990年の「プラハの春」音楽祭でチェコ・フィルを指揮し、スメタナの『我が祖国』の歴史的演奏を行い復活。チェコ・フィルより終身名誉指揮者の称号を受けた。さらに、1991年秋にもチェコ・フィルに再登場し、ドヴォルザークの交響曲第9番『新世界より』を指揮。その直後に来日、大阪、東京でスメタナの「わが祖国」を演奏した。 1996年8月11日に、スイスのルツェルンでこの世を去った。82歳没。父と共にヴィシェフラット民族墓地の記念的霊廟「スラヴィーン」に埋葬されている。同じ墓碑には父とアルフォンス・ミュシャの3人の名が刻まれている。
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