「君こそわが命」で“奇跡のカムバック”
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「水原弘」の記事における「「君こそわが命」で“奇跡のカムバック”」の解説
1967年(昭和42年)、この当時マネージャーを務めた長良じゅんの奔走などにより、2月、佳川ヨコとの競作で「君こそわが命」(作詞:川内康範・作曲:猪俣公章)をリリース。その歌唱力と売り上げで佳川を圧倒し大ヒット。“奇跡のカムバック”と称され、同年末に第9回日本レコード大賞・歌唱賞を受賞。第18回NHK紅白歌合戦へも5年ぶり・4回目の復帰出場を達成する。その後も活躍は続けていたものの、相変わらず酒に溺れる日々は続き、次第に病気がちになっていった。 1970年(昭和45年)、アース製薬のエアゾール式殺虫剤『ハイアース』のテレビCMに由美かおるとともに出演。水原を起用した同商品のホーロー看板も造られ、全国津々浦々に設置された。カムバックから3年が経過したこの時期、再び放蕩三昧の生活に舞い戻る。膨れ上がる借金で取立人に追われながら、クラブ、キャバレーの地方営業や様々な仕事を昼夜を問わず、休む間もなくこなさざるを得なくなった。このCM出演も、その最中で起用されたものであった。 1973年(昭和48年)、第24回NHK紅白歌合戦に通算10回目の出場を果たす。1971年(昭和46年)の第22回同様「トリ前」を務め、代表曲「君こそわが命」(紅白では通算3回目)を歌唱した。しかし水原自身、この同年・第24回紅白が生涯最後の出場と成る。翌1974年(昭和49年)の第25回は再び落選し、以降も紅白への復活は果たせなかった。
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