晩年・42歳で死去とは? わかりやすく解説

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晩年・42歳で死去

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 06:35 UTC 版)

水原弘」の記事における「晩年・42歳で死去」の解説

1977年昭和52年1月12日巡業先の金沢市体調不良訴え緊急入院。すでにアルコール依存症からくる影響肝臓正常に機能しなくなっており、黄疸腹水症状起こしていた。新宿朝日生命成人病研究所附属病院2月末まで入院加療し、一旦退院する同年6月末まで自宅静養専念する同年7月から仕事復帰したものの、アルコール性の急性肝炎から慢性肝炎移行肝硬変発症しており、度々極度貧血などの症状倒れるなど、もはや極めて深刻な状況迎えていた。しかし、かつて1億数千万と言われ莫大な借金返済のため、水原満身創痍で「馬車馬のように」全国営業し続け、酒も手放すことはなかった。この最晩年期、服用していた薬の副作用で顔に吹き出物が目立つようになり、それを隠すように口髭たくわえ始めていた。 1978年昭和53年6月24日未明北九州市小倉北区宿泊先「ホテルニュー田川(現・アートホテル小倉ニュータガワ)」の客室トイレ大量に吐血し瀕死の状態だったところをホテル食事とってい遅れたマネージャー美山淳に発見される。同市戸畑区の健和総合病院(現・戸畑けんわ病院)に救急搬送されるも、既に血液の1/3が失われていた。その後一時意識回復し憔悴する美山に「馬鹿野郎、俺は死なねーよ」と話しかけるなど小康状態見せるが、既に内臓のあちこちから出血がみられ、実質的に手がつけられない状況だった。それでも水原は歌を諦めず再度奇跡のカムバック」を目指していたという。 だが水原願い届かぬまま、再び意識不明重体に陥り、吐血から11日後の同年7月5日未明、同院で肝硬変重症化による食道静脈瘤破裂のため死去。満42歳没(享年43)。残った借金当時の額で9000万円とも言われる1999年平成11年)、「大衆音楽の殿堂」(財団法人古賀政男音楽文化振興財団運営顕彰歌手選ばれた。

※この「晩年・42歳で死去」の解説は、「水原弘」の解説の一部です。
「晩年・42歳で死去」を含む「水原弘」の記事については、「水原弘」の概要を参照ください。

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