晩年と墓所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/26 05:00 UTC 版)
「ジョン・ハンター (海軍軍人)」の記事における「晩年と墓所」の解説
1804年、ハンターは74門艦ヴェネラブルをまかされ、ブレスト沖のウィリアム・コーンウォリス提督の艦隊で任務についた。11月24日、ハンターがトーベイの外に艦を出したとき、急に厚い霧が立ち込めた。艦隊は、それぞれの艦の位置も今自分たちがいるところもわからず、艦隊内は混乱した。ハンターは2度、他の艦との衝突をきわどく避けたが、午後8時にペイントンの近くに崖の上に座礁し、その後まもなく船底に穴が開いた。その時この地域を強風が吹き荒れ、ヴェネラブルはたちまち粉々になり、乗員はあまり損害を出さずにインペテュー(英語版)に引き上げた。ハンターはまたも軍法会議に出廷し、そしてまたも無罪放免された。 1807年10月2日、ハンターは少将に昇進し、そして1810年7月31日には中将に昇進したが、艦に自分の旗を揚げることはなかった。ハンターは晩年はロンドンのハックニー区のニューロード、ジャドストリートで過ごし、1821年3月13日にそこで死去した。彼の墓はセント・ジョン・アト・ハクニー教会の墓地にある。 シドニー北部のハンター川、ハンターバレーは彼にちなんで名づけられた。シドニー郊外のハンターヒル、ニューキャッスルのジョン・ハンター病院(一部のみ)も同様である。1986年、オーストラリア郵便公社はハンターの栄誉を称え、彼の肖像画をあしらった切手を発行した。
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