晩年と業績再発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 00:52 UTC 版)
「セミョン・デジニョフ」の記事における「晩年と業績再発見」の解説
1670年、ヤクーツクの領主ボルヤティンスキー公爵はデジニョフにモスクワへ向かいクロテンの毛皮や書類を運ぶ任務を与えた。デジニョフは1年5カ月をかけてモスクワへ到着した。彼は当時60歳を超え、辺境での生活で負った古傷と長年の疲労のため健康を害しており、1673年にモスクワで没した。 これらの探検の報告は長い間公文書館に埋もれており、19世紀の末に再発見された。これを受けてロシア地理学会はユーラシア大陸東端の岬をデジニョフ岬と名付けるよう請願を行った。 デジニョフの生涯や探検についてはなお明らかでない部分が多い。彼は探検の途中でアラスカに達しアメリカ大陸の西端を発見した可能性や、そこに砦を築いた可能性すらもあるが、それを行ったのはデジニョフより後のロシアの探検家とする見方が多い。
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