晩年と後継者問題とは? わかりやすく解説

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晩年と後継者問題

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 16:53 UTC 版)

アウグストゥス」の記事における「晩年と後継者問題」の解説

紀元前2年元老院より国家の父 (pater patriae) の称号贈られた。 アウグストゥス権威確立し権力磐石になると後継者問題取り組んだその際アウグストゥス自分血筋こだわっていたとされ、妻リウィア前夫の子という血のつながりはないが近い位置にあり、能力的には卓越していたティベリウスが「最後保険」的な扱いをされ続けた末に、「正統後継者ゲルマニクス中継ぎとして後を継ぐことになる。当初、姉オクタウィアの子マルケッルスに目をつけ、前妻との間にもうけた一人娘ユリアを嫁がせた。しかし、紀元前23年マルケッルス死亡すると、ユリア腹心アグリッパ再婚させた。この結婚多くの孫をアウグストゥスもたらしたそのうちガイウス・カエサルルキウス・カエサル2人養子とし後継者候補とした。しかし、この2人夭折した紀元4年ガイウス・カエサル没したため、同年6月27日に、ユリアアグリッパ末子アグリッパ・ポストゥムスと、ティベリウス養子とした。同時にティベリウスに甥ゲルマニクスアウグストゥス血が繋がる)を養子とさせ、ティベリウスの次まで定めさせた。後に、アグリッパ・ポストゥムス粗野放蕩性格から追放され軍事政治ともに実績があるティベリウス明確に後継者とされた。それでもアウグストゥス崩御直前アグリッパ・ポストゥムス極秘訪問したという。 胃腸患ったアウグストゥスは、紀元14年8月19日ポンペイ近郊ノーラの町で75歳崩御した。最期の日、友人に「私がこの人生の喜劇自分の役を最後までうまく演じたとは思わないか」と尋ね、「この芝居お気に召したのなら、どうか拍手喝采を」との喜劇口上付け加えたといわれている。遺灰ローマ市内のアウグストゥス廟葬られ神格化された後にカレンダーAugustus (= August) 、つまり8月記された。そして暗殺されユリウス・カエサルつまり Julius (= July) には7月神格化されカレンダー記されたことは有名な話である。カレンダー記されている1月から8月までの名前は全て、神として古代崇められ人物の名である。

※この「晩年と後継者問題」の解説は、「アウグストゥス」の解説の一部です。
「晩年と後継者問題」を含む「アウグストゥス」の記事については、「アウグストゥス」の概要を参照ください。

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