晩年と思想活動(1921-1929)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 15:28 UTC 版)
「梁啓超」の記事における「晩年と思想活動(1921-1929)」の解説
第一次世界大戦によるヨーロッパの荒廃に少なからず衝撃を受けた梁啓超は、国家主義的で、近代西欧の思想を紹介するそれまでの方法を改め、伝統中国の思想や文化への再評価へと向かい、物質主義的な西洋文明を中国文明の精神と融合させるための学術研究に没頭していくことになる。1923年には清華大学教授、ついで北京図書館の館長となっている。影響力を強めつつあったマルクス主義に対しては、中国には階級的な社会構造が存在せず、共産主義の理念は外来の理論ではなく中国の伝統の中にも求めるべきであるなどの理由で批判的であった。ソ連を赤色帝国主義と断じて排露を主張。一部の地域が赤色共産党員の活動場となっていると評し、当時の現状を嘆く評論が残っている。 1929年、病没。 現在、北京に梁啓超旧居、広東に梁啓超故居が、天津に梁啓超旧居・記念館が、北京植物園に墓碑がある。
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