晩年と業績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 14:56 UTC 版)
私的な手稿である Brief Lives は、後の伝記の形式に多大な影響を与えたと同時に、その中身は今も物議を醸すものとして興味を掻き立てている。オーブリーはこの手稿をアンソニー・ウッドに使うことを許したが、オーブリーは存命人物についての記述には「広めるのにふさわしくない」と但し書きを加えている。彼はウッドに削除部分指定目録(教会の焚書一覧)であるように頼んだが、ウッドはそれを警告ととらず、単に必要な部分だけ抜き出して使ってよいという意味だと解釈した。1692年、オーブリーはウッドが彼の手稿の40ページ分を切り刻んで使ったことに不満を漏らしている。おそらく彼は名誉毀損で訴えられることを恐れていたと思われる。 ウッドは後にクラレンドンの学校としての合法性に関するあてこすりを問題とされ、訴えられた。問題となった2つの文のうち1つはオーブリーの提供した情報に基づいていた。このため2人は不仲となり、ウッドは年上であるオーブリーについて恩知らずなことを述べた。 晩年、完成させるには歳を取りすぎていると思いつつオーブリーは History of Northern Wiltshire を書き始めたが、1695年に資料や書き溜めた分を トマス・タナー に託した(後の主教)。翌年、あまり重要な著作ではないが唯一の完成作品である Miscellanies が出版された。1697年、オーブリーは旅先で脳卒中で亡くなった。遺体はオックスフォードの教会 (St Mary Magdalene) に埋葬された。 これまで言及した著作以外には、"Architectonica Sacra"、"Erin Is God"、"Life of Mr Thomas Hobbes of Malmesbury" などの著作がある。サリーについてのオーブリーによる調査結果は、R Rawlinson の Natural History and Antiquities of Surrey (1719) に活用された。他の好古関係の手稿も19世紀になっていくつか出版されている。 Brief Lives も何度か出版されており、クラレンドン出版が1898年に出版したものが、今のところ最も完全と言われている。
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