奇跡の14ヶ月
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三宅花圃の紹介で、『文学界』創刊号に『雪の日』を発表。同人の平田禿木の訪問を受け親しく語り合う。その後、筆が進まない一葉は、生活苦打開のため1893年(明治26年)7月、吉原遊郭近くの下谷龍泉寺町(現在の台東区竜泉一丁目)で荒物と駄菓子を売る雑貨店を開く。この時の経験が、後に代表作となる小説『たけくらべ』の題材となっている。年末、『琴の音』を『文学界』に発表。翌年1月には近所に同業者が開業したため、商売が苦しくなる。相場師になろうと占い師の久佐賀義孝に接近し、借金を申し込む。1894年(明治27年)5月には店を引き払い、本郷区丸山福山町(現在の文京区西片一丁目)に転居する。萩の舎と交渉し、月2円の助教料が得られるようになった。 同年12月に『大つごもり』を『文学界』に発表する。1895年(明治28年)には半井桃水から博文館の大橋乙羽を紹介される。博文館は明治20年に創業された出版社で、『太陽』『文藝倶楽部』などを発刊し、春陽堂と並び出版界をリードする存在であった。大橋乙羽は作家として活動していたが、博文館の館主・大橋佐平に認められ、佐助の長女大橋ときを妻に迎える。大橋夫妻は一葉に活躍の場を与え経済的にも支援しており、大橋ときは一葉に入門して和歌を学んでいる。 乙羽は明治28年同年3月の一葉宛書簡で小説の寄稿を依頼している。この年は1月から『たけくらべ』を7回にわたり発表し、その合間に乙羽の依頼で『ゆく雲』を執筆したほか、大橋ときの依頼で『経つくえ』を書き改めた上で『文藝倶楽部』に再掲載させた。このほか『にごりえ』『十三夜』などを発表している。『大つごもり』から『裏紫』にかけての期間を、一葉研究家の和田芳恵は「奇跡の14ヶ月」と呼んだ。 なお、明治28年は7月12日に父・則義の七回忌法要があるため、一葉は大橋ときに法要のための原稿料前借りを申し出ている。乙羽はこれを了承し、一葉は7月下旬に未完成の『にごりえ』原稿は届け、8月2日には残りの原稿が渡された。 1895年(明治28年)4月から樋口家には馬場孤蝶や島崎藤村など『文学界』同人や斎藤緑雨といった文筆家などの来客が毎日訪れるようになり、文学サロンのようになった。一葉は着るものにも困る生活であったが、来客を歓迎し、鰻や寿司を取り寄せてふるまった。
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