田中美一とは? わかりやすく解説

田中美一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/04 19:50 UTC 版)

田中 美一
基本情報
国籍 日本
出身地 神奈川県横浜市
生年月日 1938年
没年月日 2012年2月23日(74歳没)
選手情報
ポジション 投手捕手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

田中 美一(たなか よしかず、1938年 - 2012年2月23日)は、神奈川県横浜市出身のアマチュア野球審判員六大学野球都市対抗野球大会夏の甲子園などの大試合で球審を任され、「ミスター球審」と呼ばれた[1]

経歴

小学4年生の時から野球を始め、中学、神奈川県立希望ケ丘高等学校時代は投手だった[2]。高校時代は投手・4番で2年次と3年次に県ベスト4という活躍を見せる[3]

立教大学に進むも、1年から2年に上がる春のキャンプで他の選手の打球を右足首に受けて骨折[3]。その後は伸び悩み、リーグ戦で投げることはできなかった[2]日本通運浦和に就職後、捕手に転向[4]し、4年で社会人野球を辞めた後は横浜市にある実家の材木店を継いだ[2]

その後は野球を離れていたが、7年後の1970年に立教大学の先輩から、六大学野球の審判員に欠員が出たため[2]神宮球場で審判をしてほしいという誘いがあり受託する[3]。その後、高校野球や社会人野球でも審判を務めるようになる。

1988年、国際野球連盟の国際審判員の資格を取り、世界選手権などでも審判を務めた[2]。独学で英語スペイン語を習得する[2]

福岡ユニバーシアード第18回アジア野球選手権大会でチーフを務めて力量が高く評価されたことにより、1996年2月7日、国際野球連盟の1995年度最優秀審判(アンパイア・オブ・ザ・イヤー)に日本人で初めて選出された[5][6][7]

1996年7月19日から8月4日まで開かれたアトランタオリンピックでは、野球審判員として日本人でただ1人だけ選ばれた[2][3][4][8]。日本人で野球審判員に選ばれたのは、ソウルオリンピックバルセロナオリンピックに参加した布施勝久に続いて2人目である[9]

1999年から2000年には日本野球連盟規則・審判専門委員長を務めた[10]

2012年2月23日、心不全のため死亡、74歳没[10][11][12]

人物

家業の材木店を続けながら、高校野球、東京六大学野球でそれぞれ20試合、社会人野球で30試合の審判を毎年務めた[3]。また年に2週間程度、海外で国際試合の審判を務めた[3]。シーズンオフには審判講習会の講師として全国を飛び回っていた[4]。そのため、休みは月に1度だったという[2]

温厚な人柄で、普段の口数は少ないが、他人の質問には丁寧に教えた[7]。他人を叱責することもなかった、という[7]

判定の抗議やトラブル時に観客はスコアボードで審判の名前を確認することから、「名前を覚えられない審判が良い審判」と語っている[4]

エピソード

ある大会のスペインイタリアの試合で、判定に抗議したイタリアの選手が打席に入らなかった。このとき田中はイタリアの選手に審判のマスクを渡してバットを取りあげ、「私が打席に入るから君が審判をしろ」と言い、スペイン応援団から喝采を浴びた[2]

主な審判試合

「奇跡のバックホーム」のジャッジ

1996年8月21日に行われた第78回全国高等学校野球選手権大会決勝は、愛媛県代表松山商業高校と熊本県代表熊本工業高校との間で行われた。延長10回裏にサヨナラ負けのピンチを乗り切った「奇跡のバックホーム」が生まれ、延長11回表に松山商が3点を入れ、6対3で勝って優勝した。

3対3で迎えた10回裏、1死満塁で熊本工・本多大介は初球をライトへ高々と打ち上げた。打球は浜風で押し戻され、松山商の右翼手・矢野勝嗣が捕球。犠牲フライには十分な飛距離であったため、三塁走者の熊本工・星子崇はタッチアップ。誰もがサヨナラゲームかと思ったが、矢野の山なりの返球は甲子園特有の浜風に乗り、ダイレクトで捕手・石丸裕次郎が捕球。そのまま石丸は星子にタッチした。一塁側ファールグラウンドにいた田中は、落球の有無を確認後、右腕を突き上げて「アウト、アウトーッ!」と宣告した[16]

この頃、本塁でジャッジする時は、送球の延長線上(この場合は三塁側)に入るのが基本だった。しかし、田中は右翼手からの返球がバットに当たることを回避するために本多のバットを拾いに行った後、星子がタッチアップの準備をしているのを見て延長線上に向かうのは間に合わないと判断し、そのまま一塁側に残ったため、タッチプレーをベストポジションで判断することができた[7]

一塁の塁審だった桂等は試合後、田中になぜ三塁側でなく一塁側に居たのかを訪ねると、田中は「本多の打球に引き寄せられるよう、無意識に一塁側へ行った、だからタッチプレーが見えた」と答えた[17]

田中の薫陶を受けた審判員の桑原和彦は、近くでジャッジするためにはプレーを読む力が必要で、これは田中の努力と感性に他ならないと語っている[7]

中矢信行・愛媛県高野連審判長(2006年次)は、並の審判なら捕手の背中へ回って外側から見るところを、田中は外野からの送球を背中に背負う格好で内側からプレーをジャッジした、お手本の審判であると語った[18]

田中はこの判定について「最高のジャッジが出来た」と語り、アウトの言い方が厳しいという妻からの問いかけには、審判は選手に全身で伝えないといけないと反論している[注釈 1][20]。「あの判定は生涯最高のジャッジだった」という遺言が、棺の中に収められたという[21]

このジャッジについて、熊本工のファンからは誤審ではないかという声もあったが、1996年8月22日付のスポーツ報知の一面には、捕手・石丸が三塁走者・星子にタッチした時、星子のスパイクがホームプレートの10cm手前にあった写真が掲載された[18]

熊本工の主将・野田謙信は後に、「100人が100人セーフだと思うタイミングなのにアウトというのは、よほどの確信があったはずです。すばらしいジャッジですよ」と語った[22]

脚注

注釈

  1. ^ 「奇跡のバックホーム」について、1つのプレーに対し「アウト、アウト」と2度アウト宣告してしまったことをのちに審判として悔やんだ[19]というが、桑原和彦はそのような話を聞いたことがないと語っている[7]

出典

  1. ^ a b 「第68回都市対抗野球 最高の決勝を演出 「ミスター球審」健在--田中美一さん」、毎日新聞 東京朝刊、1997年7月29日、30頁。
  2. ^ a b c d e f g h i 「この人 アトランタ五輪野球審判員 田中美一さん」、中国新聞 朝刊、1996年7月22日。
  3. ^ a b c d e f g 「アトランタ五輪で「最高のジャッジを」 日本野球連盟、横浜の田中さん」、産経新聞 東京夕刊、1996年7月9日、3頁。
  4. ^ a b c d 「田中美一さん アトランタ五輪で野球の審判(顔・かお) /神奈川」、朝日新聞 東京地方版/神奈川、朝刊、1996年6月8日。
  5. ^ 「野球 最優秀審判に田中美一氏を選出--国際野球連盟」、毎日新聞 東京朝刊、1996年2月8日、21頁。
  6. ^ 「[グリーンプラザ]崇高な精神に手薄い対応」、読売新聞 東京夕刊、1996年2月9日、3頁。
  7. ^ a b c d e f 「[検証 奇跡の背景にあったもの]球審・田中美一氏のもう一つの「奇跡」」、DVD映像で甦る高校野球不滅の名勝負Vol.6『矢野勝嗣が「奇跡のバックホーム」。夏将軍・松山商27年ぶり頂点へ。』、ベースボール・マガジン社、2014年12月2日発行・発売、16-17頁。
  8. ^ a b c d 「アトランタ五輪 夢の五輪で正確ジャッジ 野球審判で参加27年目の田中さん」、読売新聞 東京夕刊、1996年7月16日、3頁。
  9. ^ 「シドニー五輪あす開幕 日本ただ1人の野球審判員・小山さん=神奈川」、読売新聞 東京朝刊、2000年9月14日、35頁。
  10. ^ a b 「訃報:田中美一さん 74歳=日本野球連盟参与」、毎日新聞 2012年2月25日 東京朝刊、21頁。
  11. ^ 「田中美一さん死去」、朝日新聞 東京朝刊、2012年2月24日、24頁。
  12. ^ 「[訃報]田中美一氏 74歳 元アマチュア野球審判」、スポーツニッポン、2012年2月24日、6頁。
  13. ^ 「アマ・プロ交歓試合 開催要項を発表 近鉄・野茂、「後輩のため練習台に」」、日刊スポーツ、1992年2月1日、3頁。
  14. ^ 「決勝戦前日、審判は(ドキュメント甲子園) 【大阪】」、朝日新聞 大阪朝刊、1994年8月21日、26頁。
  15. ^ 「[審判の目]もう一つの五輪(2)野球・田中美一さん58(連載)」、読売新聞 東京夕刊、1996年8月26日、3頁。
  16. ^ 「風を切る2つの白球、再現・熊本工VS松山商(1)=奇跡のバックホーム 「サヨナラ」のはずが…」、熊本日日新聞、朝刊、2006年7月25日。
  17. ^ 「風を切る2つの白球、再現・熊本工VS松山商(7)=松山商・石丸裕次郎捕手 一塁塁審・桂等さん 絶妙な位置でジャッジ」、熊本日日新聞、朝刊、2006年8月3日。
  18. ^ a b 「[野球王国]愛媛編(上)語り継がれる奇跡のバックホームと1枚の写真=中四国」、スポーツ報知、2006年5月5日、20頁。
  19. ^ 宇和上正「甲子園で活躍 田中球審悼む」、愛媛新聞 朝刊、2012年2月29日、22面
  20. ^ 「奇跡のバックホーム(白球の記憶:1) 高校野球 /熊本」、朝日新聞 西部地方版/熊本、2002年7月3日、29頁。
  21. ^ 「“奇跡のバックホーム”20年目の物語」、『Sports Graphic Number』883号(8月20日号)、第36巻第17号、文藝春秋、2015年7月30日発売、40-41頁。
  22. ^ 「[コラム・記者席から]奇跡の上にあった奇跡。」、DVD映像で甦る高校野球不滅の名勝負Vol.6『矢野勝嗣が「奇跡のバックホーム」。夏将軍・松山商27年ぶり頂点へ。』、ベースボール・マガジン社、2014年12月2日発行・発売、26-27頁。

田中美一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 21:37 UTC 版)

第78回全国高等学校野球選手権大会決勝」の記事における「田中美一」の解説

1996年頃、本塁ジャッジする時は送球延長線上(この場合三塁側)に入るのが基本だった。しかし球審の田中美一は、右翼手からの返球バットに当たることを回避するために本多バット拾い行った後、星子タッチアップ準備をしているのを見て延長線上に向かうのは間に合わない判断しそのまま一塁側に残ったため、タッチプレーをベストポジション判断することができた。 一塁塁審だった等は試合後、田中になぜ三塁側でなく一塁側に居たのかを尋ねると、田中本多打球引き寄せられるよう、無意識に一塁側へ行った、だからタッチプレーが見えた答えた田中薫陶受けた審判員桑原和彦は、近くジャッジするためにはプレーを読む力が必要で、これは田中努力感性他ならない語っている。 中矢信行愛媛県高野連審判長2006年次)は、並の審判なら捕手背中回って外側から見るところを田中外野からの送球背中背負格好内側かプレージャッジした、お手本審判であると語った田中はこの判定について「最高のジャッジ出来た」と語りアウト言い方厳しいという妻からの問いかけには、審判選手全身伝えないといけないと反論している。「あの判定生涯最高のジャッジだった」という遺言が、中に収められたという。 このジャッジについて熊本工ファンからは誤審ではないかという声もあったが、1996年8月22日付のスポーツ報知1面には、捕手石丸三塁走者星子タッチした時、星子スパイクホームプレート10cm前にあった写真掲載された。 熊本工主将だった野田謙信は後に、「100人が100セーフだと思うタイミングなのにアウトというのは、よほどの確信があったはずです。すばらしジャッジですよ」と語った田中奇跡実力ギャップに悩む矢野に、あのプレー間違いなくアウトだから自信持ちなさいと連絡し矢野はそれで楽になったと述べている。

※この「田中美一」の解説は、「第78回全国高等学校野球選手権大会決勝」の解説の一部です。
「田中美一」を含む「第78回全国高等学校野球選手権大会決勝」の記事については、「第78回全国高等学校野球選手権大会決勝」の概要を参照ください。

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