「奇跡のバックホーム」のジャッジ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 10:04 UTC 版)
「田中美一」の記事における「「奇跡のバックホーム」のジャッジ」の解説
1996年8月21日に行われた第78回全国高等学校野球選手権大会決勝は、愛媛県代表松山商業高校と熊本県代表熊本工業高校との間で行われた。延長10回裏にサヨナラ負けのピンチを乗り切った「奇跡のバックホーム」が生まれ、延長11回表に松山商が3点を入れ、6対3で勝って優勝した。 3対3で迎えた10回裏、1死満塁で熊本工・本多大介は初球をライトへ高々と打ち上げた。打球は浜風で押し戻され、松山商右翼手・矢野勝嗣が捕球。犠牲フライには十分な飛距離であったため、三塁走者の熊本工・星子崇はタッチアップ。誰もがサヨナラゲームかと思ったが、矢野の山なりの返球は甲子園特有の浜風に乗り、ダイレクトで捕手・石丸裕次郎が捕球。そのまま石丸は星子にタッチした。一塁側ファールグラウンドにいた田中は、落球の有無を確認後、右腕を突き上げて「アウト、アウトーっ!」と宣告した。 この頃、本塁でジャッジする時は、送球の延長線上(この場合三塁側)に入るのが基本だった。しかし田中は、右翼手からの返球がバットに当たることを回避するために本多のバットを拾いに行った後、星子がタッチアップの準備をしているのを見て延長線上に向かうのは間に合わないと判断し、そのまま一塁側に残ったため、タッチプレーをベストポジションで判断することができた。 一塁塁審だった桂等は試合後、田中になぜ三塁側でなく一塁側に居たのかを訪ねると、田中は本多の打球に引き寄せられるよう、無意識に一塁側へ行った、だからタッチプレーが見えたと答えた。 田中の薫陶を受けた審判員の桑原和彦は、近くでジャッジするためにはプレーを読む力が必要で、これは田中の努力と感性に他ならないと語っている。 中矢信行・愛媛県高野連審判長(2006年次)は、並の審判なら捕手の背中へ回って外側から見るところを、田中は外野からの送球を背中に背負う格好で内側からプレーをジャッジした、お手本の審判であると語った。 田中はこの判定について「最高のジャッジが出来た」と語り、アウトの言い方が厳しいという妻からの問いかけには、審判は選手に全身で伝えないといけないと反論している。 このジャッジについて熊本工のファンからは誤審ではないかという声もあったが、1996年8月22日付のスポーツ報知1面には、捕手・石丸が三塁走者・星子にタッチした時、星子のスパイクがホームプレート10cm前にあった写真が掲載された。 熊本工の主将・野田謙信は後に、「100人が100人セーフだと思うタイミングなのにアウトというのは、よほどの確信があったはずです。すばらしいジャッジですよ」と語った。
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