番組末期(2013年7月 - 最終回)
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「森田一義アワー 笑っていいとも!」の記事における「番組末期(2013年7月 - 最終回)」の解説
2013年7月1日放送分より、一部レギュラーの出演曜日が変更となる(詳細はこちらを参照)。また、この時期より、各曜日レギュラー陣に任せ、タモリが出演しないコーナーが新設された。既存のコーナーを含み、事前告知も行われていなかったため、タモリの体調を心配する声が上がったが、フジテレビは体調不良説を否定していた。 2013年9月30日(月曜日)放送分からチーフプロデューサーに中嶋優一が就任したが、これが番組最後のCPとなった。 2013年10月14日(月曜日、体育の日)は、小学生の男女100人と保護者50人が番組観覧した。この日は特別企画として「学問の秋 いま小学生に伝えたい特別授業SP」が行われ、月曜レギュラー6名とコーナーレギュラーの林修(東進ハイスクール・東進衛星予備校講師)が様々なテーマで講義を行い、鈴木福(Holidayレギュラー)とふなっしーが客席前列に同席して見守った。 2013年10月22日(火曜日)放送分において、木曜レギュラーの笑福亭鶴瓶が番組終盤にエンディングゲストとして登場し、タモリに対して「『いいとも!』終わるってホンマ?」と聞き、タモリから2014年の3月をもって番組が終了することが発表された。 2014年1月13日(成人の日)はこの年成人式を迎えた新成人150人が観客席に座った。テレフォンゲストはフリーアナウンサーの宮根誠司。 2014年1月14日放送分で、放送回数8,000回を達成。火曜レギュラー陣とゴスペラーズと共に、2004年7月の『27時間テレビ』以来約10年ぶりに、タモリがオープニングで歌唱した(特番を除く通常放送としては、2000年2月28日の生放送以来の約14年ぶり)。テレフォンゲストとして、1985年2月25日以来、29年ぶりにとんねるずが出演。その場でレギュラーになることが発表された。 2014年1月28日、同年3月31日に最終回を迎えることが発表された。当日は正午にスタジオアルタから通常放送の最終回(第8,054回)生放送に加え、ゴールデンタイムにFCGビルから『笑っていいとも!グランドフィナーレ特大号(当時の仮称)』を生放送する予定とされた。 2014年2月14日、萩本欽一がテレフォンゲストとして、当番組に初出演、タモリとのツーショットトークが実現した。 2014年2月19日、テレフォンゲストとして、ナインティナインが10年ぶりにコンビで出演。岡村隆史がタモリと番組チーフプロデューサーの中嶋優一とその場で相談の上で、とんねるず同様の不定期レギュラーとして加入が決定した。なお相方の矢部は、「嫁が今、大事な時期だから見守っててあげたい」と苦渋の断念。 2014年3月5日、天海祐希がテレフォンゲストで出演中、携帯電話のコール音が響き、トークを中断。 2014年3月12日、江頭2:50がスタジオに乱入し、客席に飛び込むなど大暴れした。スタジオアルタへの乱入は江頭曰く「橋田壽賀子にキスして出入り禁止になって以来」の13年ぶりで、「『いいとも!』終わる前に出られてよかった」と喜んだ。 2014年3月17日、和田アキ子がテレフォンゲストとして最多、22回目の出演(男女共通)。 2014年3月18日、オープニングから最終回までの残り回数が表示されるようになる。 2014年3月21日(春分の日)、テレフォンゲストとして当時内閣総理大臣の安倍晋三が、現役の首相として初めての出演。バラエティー番組及びタモリについて「無形文化財だと思う」と述べる。一方アルタ周辺では、安倍の出演に反対する人々が、抗議デモを起こした。 2014年3月24日、エンディングで3月31日の通常放送最終回とゴールデン枠に生放送が予定されている『笑っていいとも!グランドフィナーレ感謝の超特大号』の番組宣伝が行われた。 2014年3月31日(最終回)、ビートたけしをテレフォンゲストとして迎えた。次回ゲストとして、当日夜に生放送される『超特大号』に出演するさんまに電話をかけた。その際、寝ていたところを電話でたたき起こされ、寝ぼけて電話の反応が悪かったさんまに対し、タモリがノリで「明日大丈夫?」と聞き、たけしも悪乗りして「朝8時ぐらいに」と時間の約束をしたところ、さんまが「いいとも!」と答え、かつての「お友達紹介」のやりとりが復活した。後半には月曜以外の曜日レギュラーのリーダー(中居、太田、鶴瓶、関根)も登場し、番組最後には普段通り「それじゃあまた、明日も見てくれるかな?」「いいとも!」の掛け合いを観客と行い、31年半に及ぶ番組の幕を閉じた。 最終回の平均視聴率は16.3パーセント、瞬間最高視聴率は12:45の18.4パーセントだった(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)。 なお同日の当番組の放送を以て、1980年3月31日の同局系の『日本全国ひる休み』から放送されてきたスタジオアルタでの公開生放送のレギュラー帯番組は34年の歴史に幕を閉じた。 また当番組の終了を以て、青森テレビ(TBSテレビ系列)を始め、フジテレビ制作の平日の生放送帯バラエティ番組の系列外の遅れネット放送も終了となった。 昼の通常放送最終回の後続番組である『ライオンのごきげんよう』では、番組のオープニングで、司会の小堺一機が「タモリさん、長い間お疲れ様でした」と一言挨拶を入れた。 2014年3月31日、夜・ゴールデンタイム(20:00 - 23:14)には『笑っていいとも! グランドフィナーレ 感謝の超特大号』がアルタではなくFCGビル V4スタジオより生放送され、歴代レギュラーが多数出演した。2012年11月30日以来の、約1年半ぶりに「タモリ・さんまの日本一の最低男」が復活した。 『笑っていいとも! グランドフィナーレ 感謝の超特大号』の平均視聴率は28.1パーセント、瞬間最高視聴率は23:10の33.4パーセントで、有終の美を飾った(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)。
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番組末期(1989年4月 - 1990年3月)
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「FNNモーニングコール」の記事における「番組末期(1989年4月 - 1990年3月)」の解説
1989年4月以降、中継や企画コーナーなどの要素をすべて、7時00分からの新番組『トークシャワー』に譲り、30分枠のストレートニュース番組となる。番組としては独立していたが、編成・営業の扱いとしては『モーニングコール』の2部という扱いであったため、この期間、エンディング時の提供ナレーションに関しては「この番組は…」ではなく「ここまでの放送は…」となっていた。リニューアル1年後の1990年3月30日に番組は終了。鹿内宏明会長の肝いりで同年4月2日から、6時台を55分のワイドニュース『FNN朝駆け第一報!』、7時台を若者向け情報番組『グッドモーニングジャパン』へと分割した。
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番組末期
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番組、そしておニャン子クラブの終了の兆しは、放送開始から2年を経た1987年4月頃から見られるようになった。 この時期、『アイドルを探せ』も最後のメンバーとなった鈴木和佳子の合格後程なく終了となり、番組内容と番組を基盤としたタイアップ戦略や人材発掘もまた行き詰まりの様相を呈しつつあったためついに番組の打ち切りが決定した。 そのため最終的には同年6月15日に番組終了とおニャン子クラブの解散が正式に予告発表され、番組は8月31日に最終回を放送してついに放送終了を迎えた。おニャン子クラブもまた9月20日の国立代々木競技場第一体育館での大規模な解散コンサートを以て活動を終了した。番組の最終回の前日はこの番組も大々的に連動を行っていたフジサンケイグループ主催の大型イベント「コミュニケーションカーニバル 夢工場'87」の最終日だった。番組末期に生放送の番組進行がいわゆるグダグダな状態に陥った時、石橋貴明が「夢工場までは頑張るんだろ!」と叫ぶ一幕もあった。
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