スローなブギにしてくれとは? わかりやすく解説

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スローなブギにしてくれ

作者片岡義男

収載図書片岡義男 31 STORIES(サーテイーワン・ストーリーズ) 1
出版社晶文社
刊行年月1987.1

収載図書スローなブギにしてくれ
出版社角川書店
刊行年月2001.7
シリーズ名角川文庫


スローなブギにしてくれ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/11 23:29 UTC 版)

スローなブギにしてくれ
作者 片岡義男
日本
言語 日本語
ジャンル 短編小説
青春小説
発表形態 雑誌掲載
初出情報
初出 野性時代』 1975年8月 (1975-08)
刊本情報
収録 『スローなブギにしてくれ』
出版元 角川書店
出版年月日 1976年2月23日 (1976-02-23)
受賞
第2回野性時代新人文学賞
ウィキポータル 文学 ポータル 書物
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スローなブギにしてくれ」は、片岡義男短編青春小説オートバイに乗る高校生の少年と、猫を溺愛する家出少女の出会いと不器用な同棲生活を描いた作者の代表作のひとつである[要出典]。『野性時代』(角川書店)1975年8月号にて発表され、第2回野性時代新人文学賞を受賞、第74回直木賞候補作となった。1976年3月に角川書店から本作を含む同名の短編小説集が刊行された。

本作品を原作とした同名の映画と、その主題歌として南佳孝による楽曲「スローなブギにしてくれ (I want you)」も作られた[1]

あらすじ

以下、物語最後までのネタバレを含む

夕暮の第三京浜をオートバイで走っていた少年は、白いムスタングから放り出された子猫と少女を拾い、そのままアパートで同居を始める。しかし少女の猫好きは常軌を逸しており、腹に据えかねた少年はドライブの最中に15匹の猫を次々と車窓から投げ捨て、少女を遠くの駅前に置き去りにしてしまう。その夜、少年はヤケ酒をあおり大荒れするが、少女は3日後に帰ってきてヨリを戻す。少女のアルバイト先でもある行きつけのバーのマスターから復縁祝いの曲を贈ると言われ、少年はスローなブギをリクエストする。

書誌情報

1979年6月に角川文庫版が刊行された。その後、絶版となったが、2001年7月に加筆・修正を加え、再編集した同名の短編集が角川文庫より再発された。

映画

スローなブギにしてくれ
監督 藤田敏八
脚本 内田栄一
原作 片岡義男
製作 角川春樹
出演者 浅野温子
古尾谷雅人
山﨑努
浅野裕子
音楽 南佳孝
主題歌 南佳孝「スローなブギにしてくれ (I want you)
撮影 安藤庄平
編集 井上治
製作会社 東映
角川春樹事務所
配給 東映洋画
公開 1981年3月7日 (1981-03-07)
上映時間 130分
製作国 日本
言語 日本語
配給収入 3億8500万円[2]
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1981年3月7日公開[3][4][5]東映角川春樹事務所による製作で、東映洋画が配給した。浅野温子の初主演作で、トレンディドラマの人気女優となる以前の初々しい[5]、その小悪魔的な演技が話題となった。

脚本は「スローなブギにしてくれ」をベースに、「ひどい雨が降ってきた」「俺を起こして、さよならと言った」の2作品(いずれも片岡の小説)を織り交ぜ、さらにオリジナルエピソードや後日譚を付け加えたものとなっている。原作とは異なり、主人公の男性はアルバイトで生計を立てる年上の社会人として設定されている。

あらすじ

夕暮の第三京浜オートバイで走る青年は、白いムスタングから放り出された子猫と若い女を拾う。福生の旧米軍ハウスで男2人、女1人の奇妙な共同生活を送っているムスタングの男には、別居中の妻と子供がいた。ある日突然、同居男性が急死したことから、辛うじて保たれていた微妙なバランスが崩れていく[5]

スタッフ

キャスト

製作

企画

『映画情報』1981年8月号には「松竹が『上海バンスキング』を1981年初めに松坂慶子主演・藤田敏八監督でやろうとしたが、製作が難航している間に、企画としては先に挙がっていた『スローなブギにしてくれ』に藤田監督を取られた」と書かれている[6]

仔猫オーディション

映画の撮影に先立ち「映画出演仔猫オーディション」が行われた。1980年10月19日に書類審査を通過した164匹の仔猫が銀座東映本社に集められ、その中から最終的に12匹の出演仔猫が選ばれた。この時の審査員は藤田敏八(監督)、浅野温子(主演)、江戸家猫八助監督の4人。7分30秒当たりのシーンで橋梁から猫を落とすシーンは、NGを何度も出し、同じような三毛猫を再度40匹を用意し36匹の猫が犠牲になった。猫が電線にぶら下がるシーンはテグスの使用と見られる。以降何度も仔猫は放り投げられる。

撮影

当初は1980年7月にクランクインを予定していたが[7]、最初に脚本を書いていた小林竜雄の遅れで、途中から内田栄一に脚本が交代し、脚本を直した[7]。映画は夏の始まりから晩夏にかけての話だが、脚本遅れによりクランクイン予定が3ヵ月遅れ、実際は晩秋から撮り始めた[7]。藤田監督がドキュメンタリータッチを狙いたいという企図があって同録にこだわり、さらにオールロケにもこだわったため、現場は相当寒かったという[7]。山崎や浅野が汗をダラダラ流すシーンが何度もある。録音の紅谷愃一は「浅野温子は小生意気でしたよ(笑)」と述べている[7]。ゴロー(古尾谷雅人)は吉野家で働く設定。オールロケならば、実際の店舗か、空き店舗を改造したものと見られ、吉野家と書かれた制服で仕事をし、古尾谷が牛丼の汁が入った鍋に少年ジャンプを何冊も放り込む描写があり、よく制服を貸したなという印象。古尾谷がオカマの店長・鶴田忍を「バケモノ!」と呼ぶ。後半、デ・パルマを思わす分割画面となるシーンがある。

ロケ地

主なロケ地は神奈川県大和市東京都福生市周辺[8]、冒頭は渋谷公園通り渋谷ジァン・ジァン付近。オープニングクレジット首都高速第三京浜からの夕景[4]。さち乃(浅野)の住所が映るシーがあり、横浜市中区黄金町に実在する住所設定で、さち乃の家は窓のすぐ上に京急電車が走るガード下で、大岡川近辺でロケも行われている。その他、神奈川県座間市(ゴローが暴漢に仕返しするシーン)。オーラスのマスタングを海から引き揚げるのは品川コンテナ埠頭か。対岸に船の科学館が映る。

美術・音楽等

1981年1月4日の新聞紙上で「片岡義男ワールド」のシンボルマークのデザイン募集がプロ、アマ不問で一般公募された。最終的に選ばれたのはグラフィック・デザイナーの峰尾裕己のデザインで、その後「スローなブギにしてくれ」の映画宣伝や角川文庫の片岡作品のカバーデザインの一部として使用された。

作中に登場するスナック「クイーンエリザベス」は、角川春樹事務所が当時輸入販売していたスコッチウイスキーの銘柄である。その「クイーンエリザベス」でラスト近くに店のマスター(室田日出男)が主題歌「スローなブギにしてくれ (I want you)」のレコードを掛けるが、その直前に店の有線からHOUND DOGの「嵐の金曜日」が流れる(ノンクレジット)。

プロモーション

公開2カ月前から意地悪で可愛い仔猫のような浅野温子のさまざまな表情、浅野が古尾谷雅人とオートバイで走ったり戯れたりして、けだるいリズミカルな音楽が流れるテレビCMが流された[9]

作品の評価

興行成績

角川春樹によれば、公開初日でも空席が目立った[10]とされる。興行成績は辛うじて原価回収を達成した[11]。角川は後年、映画が興行的に失敗し、作品も不出来だったと述べ、「浅野温子だけが光って、後は私には不本意な映画でした」という感想と共に、監督の藤田敏八とのコミュニケーション不足や、内田栄一の書いた脚本に原作者の片岡が納得していなかったことを挙げつつ、不出来さの最大の要因が、監督の藤田が出演者の山崎努に自己投影してしまい、青春映画でなく中年映画にしてしまったことだと断じている。その上で「私は原作からもっと軽やかで爽やかな映画を作りたかった」「プロデューサーだけだと作品に責任が持てない」「監督兼プロデューサーというのが一番いいなと思った」と、後に自身が、監督業に進出するきっかけの一つが本作だったと明かしている[12]

鈴木常承東映営業部長・洋画部長は興行予想を6億円と見ていたが[13]、下回った。

評論

山根貞男は「監督が藤田敏八とくれば、誰だって青春映画と思ってしまうのではないか。ところがまるっきり違う。主役の若い二人はただふらりふらりとしている印象だ。浅野温子の美しい凶暴な眼も、古尾谷雅人の野性味もなんらギラつかない。この二人の間に割って入る中年男・山崎努の、なんとギラギラ迫力いっぱいなことか。ムスタングを駆って、仕事、離婚、友人の女房を寝取り、若い娘との情事と忙しく行動的で、怒ったり泣いたり、たいした激情ぶりだ。これは青春映画ではならぬ中年映画である」などと評してる[9]

寺脇研は「この映画には、人は皆ひとり、といった孤独感が終始漂う。それは一連の藤田作品の延長線上にある、この作家の一貫した主張である。死んでしまう中年男・原田芳雄の周囲には、ひときわ濃厚に漂い、虚無感でさえある」などと評してる[14]

映像ソフト

脚注

  1. ^ 佐々木モトアキ (2024年7月26日). “スローなブギにしてくれ〜気弱で強がりなハードボイルドの世界観を見事に仕立て上げた南佳孝と松本隆の手腕”. TAP the POP. 2025年11月12日閲覧。
  2. ^ 中川右介「資料編 角川映画作品データ 1976-1993」『角川映画 1976‐1986 日本を変えた10年』角川マガジンズ、2014年、281頁。 ISBN 4-047-31905-8 
  3. ^ スローなブギにしてくれ:作品情報・キャスト・あらすじ”. 映画.com. 2025年8月27日閲覧。
  4. ^ a b スローなブギにしてくれ”. 日本映画製作者連盟. 2025年11月12日閲覧。
  5. ^ a b c スローなブギにしてくれWOWOW
  6. ^ 「雑談えいが情報 / 視根馬雷太」『映画情報』第46巻第8号、国際情報社、1981年8月1日、39頁、NDLJP:2343769/39 
  7. ^ a b c d e 紅谷愃一「26年間在籍した日活を去り、フリーランスへ」『音が語る、日本映画の黄金時代 映画録音技師の撮影現場60年河出書房新社、2022年、148–150頁。 ISBN 9784309291864 
  8. ^ 「映画監督とぶらり!まち歩き」登場監督へのインタビュー(監督ぶらりまち歩き篇) – 福生市役所Archived 2025年3月26日, at the Wayback Machine.
  9. ^ a b 山根貞男「シネマメッタ斬り 『スローなブギにしてくれ』」『噂の眞相』1981年3月号、噂の眞相、52–53頁。 
  10. ^ 角川春樹「§5 泥の河」『試写室の椅子』角川書店、1985年9月10日、42頁。 ISBN 4048831895 
  11. ^ 角川春樹「§7 エクスカリバー」『試写室の椅子』角川書店、1985年9月10日、58頁。 ISBN 4048831895 
  12. ^ 『最後の角川春樹』、2021年11月発行、伊藤彰彦、毎日新聞出版、P189~190
  13. ^ 「東映30周年記念特集ー'81年に邁進する経営の全貌 150億円の悲願成るか」『映画時報』1981年2月号、映画時報社、10頁。 
  14. ^ 寺脇研「81年度決算特集(1) 日本映画若手作家の台頭と娯楽映画復活のきざし」『キネマ旬報』1982年2月上旬号、キネマ旬報社、101頁。 
  15. ^ 「東映ビデオ広告」『シティロード』1985年11月号、エコー企画、74頁。 

関連項目

外部リンク




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