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植草信和

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/04 06:28 UTC 版)

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うえくさ のぶかず
植草 信和
生誕 1949年????
千葉県市川市
国籍 日本
民族 日本人
出身校 東洋大学中退[1]
職業 フリー編集者
活動期間 1969年昭和44年) - 現在
肩書き 映画雑誌キネマ旬報』元編集長
前任者 黒井和男

植草 信和(うえくさ のぶかず、1949年昭和24年〉 - )は、日本編集者映画雑誌キネマ旬報』の元編集長

略歴

千葉県市川市生まれ。1970年昭和45年)2月にキネマ旬報社に入社。1991年平成3年)に映画雑誌キネマ旬報』の編集長に就任。退社後の2006年映画製作配給会社「太秦株式会社」を設立、現在は非常勤顧問[2]

人物

1969年東洋大学文学部3年の時に「大好きな映画を見て、あこがれの編集の仕事もできる」と、キネマ旬報社でアルバイトを始める。正社員になることを誘われたため、大学を中退し入社した。当時は「良くも悪くも白井佳夫氏の個人商店」で、「僕を含めて、二十代前半の4人だけが編集者。経営的にも苦しかった」という。読者プレゼントの切手代さえ払えず、提供先の映画会社に出してもらったこともあった[3]

白井、黒井和男の個性の強い2人の後任編集長として、没個性にならないよう気を付けながらも「第一義的には良い雑誌を作ること。編集長は裏方に徹し」「批評性と記録性を重視」しながらも「作品や業界の記録は編集者が努力すればできるが、批評性は良い書き手がいなくては保てない」として、「ビビッドな感覚で、作品に負けない批評を書ける映画評論家を多く育てる方針」を掲げて、若手に書かせるページを割いた。結果的に白井の編集方針に似るのだが、「僕は白井さんの門下生。似てくるのは仕方ない」としている[4]

産経新聞によるインタビューの際、一番好きな映画を尋ねられて「(日活青春映画を見て育ったため)石原裕次郎吉永小百合が好きだった。いなか育ちだから、あの都会的な雰囲気にあこがれたと思う。『キネ旬』編集長のイメージと違うけれど」と答えている。

著書

共著

  • 『[証言] 日中映画興亡史』(玉腰辰己・坂口英明・共著、蒼蒼社、2013年

編集

脚注

  1. ^ 証言 日中映画興亡史 by 植草 信和/坂口 英明/玉腰 辰己【編著】,蒼蒼社,9784883601172,紀伊國屋書店ウェブストア
  2. ^ 植草信和〈コラムニストプロフィール〉 - 朝日新聞出版|AERA dot. (アエラドット) - 朝日新聞出版AERA dot.
  3. ^ 産経新聞1994年平成5年)7月10日朝刊 出版ほっとらいん キネマ旬報社「キネマ旬報」編集長・植草信和さん
  4. ^ 産経新聞1994年7月10日朝刊 出版ほっとらいん キネマ旬報社「キネマ旬報」編集長・植草信和さん



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