シベリア抑留とは?

シベリア抑留

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/01 17:25 UTC 版)

シベリア抑留(シベリアよくりゅう)は、第二次世界大戦終戦後、武装解除され投降した日本軍捕虜らが、ソビエト連邦(ソ連)によって主にシベリアなどへ労働力として移送隔離され、長期にわたる抑留生活と奴隷強制労働により多数の人的被害を生じたことに対する、日本側の呼称である。ソ連によって戦後に抑留された日本人は約57万5千人に上る。厳寒環境下で満足な食事や休養も与えられず、苛烈な労働を強要させられたことにより、約5万5千人が死亡した[1]


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  52. ^ 2010年(平成22年)5月20日に参院総務委員会で佐藤泰介委員長により提案。シベリア特措法:超党派で今月国会提出へ 元抑留者の悲願に光毎日jp 2010年5月20日
  53. ^ 特措法、全会一致で提出シベリア抑留で給付金 京都新聞2010年5月20日
  54. ^ “シベリア抑留死:没後66年 遺骨、兵庫の遺族の元に”. 毎日新聞. (2012年2月2日). http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120202k0000e040111000c.html 2012年2月8日閲覧。 
  55. ^ 舞鶴市ホームページ舞鶴引揚記念館収蔵資料がユネスコ世界記憶遺産に登録されました





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