ラストヴォロフ事件とは? わかりやすく解説

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ラストヴォロフ事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 04:01 UTC 版)

ラストヴォロフ事件(ラストヴォロフじけん)とは、ソビエト連邦によるスパイ事件[1]。ソ連の情報機関員とみられるユーリー・アレクサンドロヴィチ・ラストヴォロフ第二次世界大戦後の日本の内外政策に関する情報収集の任務を帯びて日本を訪れ、外務省通商産業省の事務官らを含む多数の日本人エージェントを用いて情報収集を行っていた諜報事件である[1]。ラストヴォロフが1954年昭和29年)1月24日アメリカ合衆国に亡命し、スパイ活動について暴露したことによって発覚した[1]


注釈

  1. ^ 1954年のラストヴォロフ失踪時には、ラストヴォロフが三橋事件鹿地事件に関与したという報道がなされた[2]
  2. ^ ラストヴォロフは、ロシアにバレリーナの妻がいたが、アメリカ亡命後はメリー・ジョーンズと結婚した。しかし、メリーとはその後離婚している。
  3. ^ 報道によれば、ラストヴォロフは日本語を話し、日本には知人もいて、身長は172センチメートルで肉付きがよく、顔も大きく。金髪でやや前頭部がはげあがっており、灰色の背広と濃紺のコート、チャック付の革製の深靴を着用していた[2]

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ラストヴォロフ事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 04:03 UTC 版)

ユーリー・ラストヴォロフ」の記事における「ラストヴォロフ事件」の解説

「ラストヴォロフ事件」も参照 1950年、ラストヴォロフは、東京戻り二等書記官として麻布駐日大使館単身赴任した。日本では主として在日米軍に関する情報収集従事しアメリカ軍人出入りするバーレストランテニスクラブ通った目的は、アメリカ人協力者を得る事であったとされるが、このテニスクラブ入りが、皮肉にも、ラストボロフがアメリカ人接近しているという疑念本国に抱かせ、後の亡命一因になったといわれる1953年3月5日ヨシフ・スターリン死去した間もなく内務相ラヴレンチー・ベリヤ逮捕され国家保安機関内で粛清が始まるとの噂が流れた1954年1月大使館内の高官による会議開かれ、ラストヴォロフのモスクワ召還決定された。彼は、同年1月25日発の横浜ナホトカ便で帰国するはずだった。しかし、ラストヴォロフは、帰国前日1月24日工作中に知り合った英語教師アメリカ防諜員)メリー・ジョーンズ(後の妻)と接触しCIA代表部引き渡された。ラストヴォロフは、飛行機東京から沖縄に、その後グアム米軍基地移された。ラストヴォロフ失踪事件について、日本マスコミはさまざまに報じた。 それによれば身長172センチメートル肉付きがよく、顔が大きく金髪で、やや前頭部がはげあがっており、服装灰色背広濃紺コートチャック付の革靴であり、日本語話し日本友人もいるというものであった当時の報道では、ベリヤ逮捕によりラストヴォロフは将来に不安をいだいて失踪ではないか推測している。 アメリカ亡命後、ラストヴォロフは記者会見開き日本における情報収集活動実態暴露し1950年までにソ連エージェントになることを誓約させられ日本人がおよそ500名におよび、その他の情報提供者含めた潜在エージェントは8,000人を超えることを明らかにした。事件発覚後西側マスコミは、この事件センセーショナルに報道したまた、日本側の報道でも、1954年8月14日付『朝日新聞』が、外務省公安調査庁共同発表を「ラストボロフ事件の真相」という見出しをつけて掲載している。各種報道によると、ラストヴォロフ自身は、36人の日本人エージェント有していたと証言したとされる。 まもなくエージェント1人、元関東軍航空参謀少佐志位正二自首した。志位はソ連抑留中スパイになることを強要され帰国し主として日本再軍備についてラストヴォロフに報告月一回、計30回にわたって50万円受け取ったといわれている。8月14日外務省欧米局第5課事務官日暮信則、国際協力局第1課事務官庄司宏が国家公務員法100条(秘密を守る義務違反容疑逮捕され8月19日外務省経済局経済2課事務官・高毛礼茂(暗号名エコノミスト」)が同容疑逮捕された。日暮信則は、事件取調中、4階の窓から飛び降りて自殺した。高毛礼茂は懲役8月罰金100万円の判決受けたが、庄司宏は証拠不十分で無罪判決受けた同年ソ連軍事裁判所は、欠席裁判でラストヴォロフに死刑言い渡した同僚のワシーリー・ソコロフは、諜報部解雇されソ連共産党から除籍された。

※この「ラストヴォロフ事件」の解説は、「ユーリー・ラストヴォロフ」の解説の一部です。
「ラストヴォロフ事件」を含む「ユーリー・ラストヴォロフ」の記事については、「ユーリー・ラストヴォロフ」の概要を参照ください。

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