中国での反響とは? わかりやすく解説

中国での反響

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/09 15:53 UTC 版)

日本の黒い霧」の記事における「中国での反響」の解説

中国での清張作品紹介は、文化大革命が始まる前年1965年に『日本的』として翻訳され『日本の黒い霧』に始まる。そのきっかけとなったのは、1963年11月中国作家代表団日本訪れたことであった。このとき清張は、作家代表の1人だった許覚民に『日本の黒い霧』単行本寄贈した。許は帰国後、人民文学出版社文潔若翻訳依頼した1965年に『日本的』は人民文学出版社から出版された。『日本的』は以下の6編で構成されている。 "帝国銀行事件"之謎(帝銀事件の謎) 下山国鉄総裁是被謀殺的(下山国鉄総裁謀殺論) "松川事件"的実質推理松川事件) "白鳥事件"(白鳥事件) "拉斯特沃洛夫事件"(ラストヴォロフ事件) 我為什麼要写<日本的>-代跋(なぜ『日本の黒い霧』書いたか?あとがきにかえて清張寄贈した単行本にはこの6編以外に『謀略朝鮮戦争』も収録されていたが、これを底本として翻訳され中国語版では省略されている。翻訳者である文潔若によると、この1編も翻訳したもののその中の「林彪朝鮮戦争負傷した」という記述事実相違するために出版社相談した上で省略したという。 1980年再版では、『朝鮮戦争的策劃』(謀略朝鮮戦争)が加えられた。2012年には新版発行され、さらに『”木星号”遭難記』(「もく星」号遭難事件)が新たに翻訳の上追加された。 名古屋大学大学院の尹芷汐は、『謀略朝鮮戦争』が1965年版収録されなかった理由について次のような見解述べている。 新中国メディア日本の「黒い霧事件に対して深く懸念し一九四九年から一九三年松川事件最終判決まで、継続的に報道続けていた。作品『日本の黒い霧』は、ある程度中国メディア報道類似した結論事件推理導きながらも、根本的な論理構成においてそうしたメディア報道違っている。その相違を最もよく現した『謀略朝鮮戦争』の章が、一九六五年の中国公表されるのは、難しいことであった。 — 『松本清張研究第十五号、p.219.。

※この「中国での反響」の解説は、「日本の黒い霧」の解説の一部です。
「中国での反響」を含む「日本の黒い霧」の記事については、「日本の黒い霧」の概要を参照ください。

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