しらとり‐じけん【白鳥事件】
白鳥事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/16 14:38 UTC 版)
白鳥事件(しらとりじけん)は、1952年(昭和27年)1月21日に北海道札幌市で発生した警察官射殺事件である。
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注釈
- ^ 共産党札幌委員会の地下組織[1]。
- ^ 国家地方警察本部科学捜査研究所の鑑定では「1912年型ブローニング拳銃」とされたが、実際にそのような型式は確認できないため、世界的に流通していた1910年型の誤りでないかといわれる[8]。
- ^ ビラには「下る」と書かれたものと「降る」と書かれたものの2種類があり、うち「降る」の版は共産党の犯行を市民に印象付けるために警察が撒いたものだとする主張がある[11]。一方、後述のTは「国治さんは古いタイプの人間だから『降る』と『下る』のどちらの文字を使ったと思うかと聞かれたら、『降る』の方じゃないかという気がします」と述べている[7]。
- ^ 理事長はその後服毒自殺した[13]。
- ^ 主文の続きでは、「この見地に立つて本件をみると、原決定の説示中には措辞妥当を欠く部分もあるが、その真意が申立人に無罪の立証責任を負担させる趣旨のものでないことは、その説示全体に照らし明らかであつて、申立人提出の所論証拠弾丸に関する証拠が前述の明らかな証拠にあたらないものとした原決定の判断は、その結論において正当として首肯することができる」とされ、「所論は、事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、刑訴法四三三条所定の適法な抗告理由にあたらない」「要するに、所論の証拠弾丸に関する新証拠は、原判決の認定について合理的な疑いをいだかせるに足りないというべく、右新証拠が刑訴法四三五条六号所定の証拠の明白性の要件を具備しないとした原決定の判断は、その結論において正当として是認することができる」と結論づけられている[4]。
- ^ これらの白鳥事件に関与して四川省に滞在していた者たちは「四川組」と呼ばれ、中国名を名乗っていた[30]。
- ^ 2人共アルコール依存症の状態であったという[13]。なお、札幌ビューロー委員であった追平雍嘉の証言では、この内の1人が白鳥警部射殺の実行役であったとされる[1]。
出典
- ^ a b c d e f g 渡部富哉 (2012年3月18日). “「白鳥事件は冤罪ではなかった!」新資料・新証言による60年目の真実”. ちきゅう座. 2017年11月30日閲覧。)
- ^ a b 渡部富哉(2012年)230頁
- ^ a b 立花書房編『新 警備用語辞典』立花書房、2009年、203頁。
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- ^ a b c “衆議院会議録情報 第013回国会 行政監察特別委員会 第10号”. kokkai.ndl.go.jp. 2018年9月3日閲覧。
- ^ a b c d e f 後藤篤志(2013年)72-88頁。
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- ^ a b 後藤篤志(2013年)17頁。
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- ^ a b 砂澤陣 (2016年9月2日). “「日本で一番悪い奴ら」北海道警察VS日本共産党”. 日刊SPA!. 2021年1月16日閲覧。
- ^ 渡部富哉 (2012年3月23日). “「白鳥事件は冤罪ではなかった!」新資料・新証言による60年目の真実③”. ちきゅう座. 2017年11月30日閲覧。
- ^ “衆議院会議録情報 第013回国会 本会議 第6号”. kokkai.ndl.go.jp. 国会会議議事録検索システム. 2018年11月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l * 今西一、河野民雄、大石進「シンポジウム・歴史としての白鳥事件」『商学討究』第64巻第2/3号、2013年12月25日、 3-95頁、2019年8月31日閲覧。。
- ^ a b c 後藤篤志(2013年)17-21頁。
- ^ a b 後藤篤志(2013年)169-173頁。
- ^ a b 後藤篤志(2013年)173-186頁。
- ^ a b c 木谷明 (2013-11-27). 「無罪」を見抜く. 岩波書店. pp. 103-107
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- ^ 後藤篤志(2013年)17頁。
- ^ a b “「白鳥事件」更新続く最古の逮捕状 札幌で60年前に警官射殺” (日本語). 日本経済新聞 電子版. (2012年11月24日) 2018年9月1日閲覧。
- ^ “第058回国会 法務委員会 第33号”. 国会会議録検索システム (1968年5月24日). 2017年12月1日閲覧。
- ^ 渡部富哉(2012年)255-264頁
- ^ 最高裁判所, ed (1975). 最高裁判所刑事判例集. 29. 判例調査会. pp. 321-
- ^ 渡部富哉 (2012年3月22日). “「白鳥事件は冤罪ではなかった!」新資料・新証言による60年目の真実②”. ちきゅう座. 2017年12月1日閲覧。
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- ^ a b 国谷, 哲資 (2019年3月31日). “北京追憶 : 若者が体験した戦後日中関係秘史”. 学術情報リポジトリ. アジア社会文化研究. 広島大学. 2020年9月23日閲覧。
- ^ a b 河野民雄. “「白鳥事件を考える札幌集会」の報告”. インターネット事業団. 2020年8月27日閲覧。
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- ^ “白鳥事件の鶴田容疑者が死亡=逃亡先の北京で-警部射殺から60年、真相語らず”. 時事ドットコム (時事通信社). (2012年3月29日) 2012年3月30日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 渡部富哉(2012年)288-290頁
- ^ 「更新続く「最古の逮捕状」 白鳥事件で北海道警」『』、2012年11月24日。2018年9月1日閲覧。
- ^ “更新続く「最古の逮捕状」 白鳥事件で北海道警”. 共同通信社. 47NEWS. (2012年11月24日) 2013年4月18日閲覧。
- ^ a b 「白鳥事件 党員の犯行裏付け 元共産党軍事部門幹部が証言 米軍謀略説を否定 事件直後「報告聞いた」」『北海道新聞』、1998年10月29日、1面。
- ^ 「白鳥事件で証言 川口孝夫さんに聞く 「当時の党 方針間違い」」『北海道新聞』、1998年10月29日、27面。
- ^ a b 後藤篤志(2013年)279頁。
- ^ 後藤篤志(2013年)220-222頁。
- ^ HBC北海道放送 プレスリリース 2011年
- ^ “秋田放送の番組がテレビ部門大賞 第48回ギャラクシー賞”. 共同通信社. 47NEWS. (2011年6月2日) 2013年4月18日閲覧。
- ^ “「白鳥事件」銃撃、数日前に失敗…地下組織の元隊員60年後の証言”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2012年2月24日). オリジナルの2012年2月27日時点におけるアーカイブ。
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