財田川事件
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財田川事件(さいたがわじけん)は、1950年(昭和25年)2月28日に起きた強盗殺人事件とそれに伴った冤罪事件である。四大死刑冤罪事件の一つ(免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件)。日本弁護士連合会が支援していた。
注釈
- ^ 本件における捜査官の証言に虚偽があるとの予断を懐くものでないが、裁判所に科せられている自白の任意性、真実性究明義務をつくすためには、正に眼光紙背に徹する深い推理力と鋭い洞察力を発揮すべきではなかろうか。この意味において、当裁判所は、三年余を費やし、できるだけ広く事実の取調を実施し、推理、洞察に最善の努力を傾倒した積りではあるが、捜査官の証言も全面的には信用できず、二〇年以上も経過した今日においては、既に珠玉の証拠は失われ、死亡者もあり、生存者といえども記憶はうすらぎ、事実の再現は甚だ困難にして、むなしく歴史を探究するに似た無力感から財田川よ、心あれば事実を教えて欲しいと頼みたいような衝動をさえ覚えるのである。 — 高松地方裁判所丸亀支部 昭和44年(た)第1号 昭和47年9月30日判決、最高裁判所刑事判例集30巻9号1793頁
- ^ 現在では他の冤罪事件でも古畑の鑑定が物的証拠として採用されていたものがあったため、鑑定の信頼性は著しく失墜している。詳細については古畑種基#冤罪・再審参照のこと。
- ^ 同様の事例に、樺太で戦中発生した強盗殺人事件の死刑囚が、ソ連軍の樺太侵攻により公判記録が日本の管理下から喪失したため、法務当局が恩赦で無期懲役に減刑した樺太・西柵丹強盗殺人事件がある。
- ^ 矢野伊吉『財田川暗黒裁判』1976年、立風書房、175頁には、1審担当の中村正成検事による意識的な破棄・湮滅の疑いがあると記されている。
出典
- 1 財田川事件とは
- 2 財田川事件の概要
- 3 概要
- 4 不可解な点
- 5 参考文献
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