菅生事件
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菅生事件(すごうじけん)は、1952年6月2日に大分県直入郡菅生村(現在の竹田市大字菅生)で起こった公安警察による日本共産党を弾圧するための自作自演の駐在所爆破事件。犯人として逮捕・起訴された5人の日本共産党関係者全員の無罪判決が確定した冤罪事件である。当時巡査部長として潜入捜査を行っていた警察官は有罪判決確定後も昇任を続けてノンキャリア組の限界とされる警視長まで昇任した[1]。
- ^ a b デジタル版 日本人名大辞典+Plus コトバンク
- ^ a b c d e “共産党員逮捕の菅生事件 警察の不正暴いた取材合戦”. 毎日新聞 (2017年6月1日). 2017年11月29日閲覧。
- ^ a b c d 青木理 『日本の公安警察』 講談社〈講談社現代新書〉、2000年1月。
- ^ 第26回国会 衆議院 法務委員会 第15号 昭和32年3月15日
- ^ “参議院会議録情報 第116回国会 予算委員会 第4号”. kokkai.ndl.go.jp. 2018年8月2日閲覧。
- ^ 共同通信配信、1988年9月5日。
- ^ a b 柴垣和夫 『昭和の歴史9-講和から高度成長へ-国際社会への復帰と安保闘争』 小学館〈文庫判 昭和の歴史〉、1989年3月、p54。
- ^ 坂上遼 『消えた警官-ドキュメント菅生事件』 講談社、2009年12月。
菅生事件(1952年)
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