自由日本放送とは? わかりやすく解説

自由日本放送

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/05 00:41 UTC 版)

自由日本放送(じゆうにほんほうそう)は、1950年代前半に武装闘争路線をとった日本共産党の〈所感派〉分派で、中国亡命していた北京機関の指導の下で北京に設けた地下放送局

概要

サンフランシスコ講和条約発効後の1952年5月1日に開局[1]。所在地は北京市西単区[1]

地下放送局の構想は1951年頃からあり、伊藤律が「自由日本放送」と命名し準備が進められた[1]。放送の実務はレッドパージ日本放送協会(NHK)を追放された藤井冠次が担当した。

ISは用いず、放送開始には管弦楽による「インターナショナル」のカラオケが用いられた。これはこの放送のためにモスクワで録音されたものである。また中波放送開始時には「平和を守れ」[1]中央合唱団の歌により放送されたことがあった。

番組表

初期は20.30-21.00の30分のみであったが、中波放送開始時に時間帯を増やした。

  • 05.30-06.00 ニュース・歌・解説(前日の再放送
  • 20.30-21.30 ニュース・歌・解説
  • 22.00-22.30 ニュース・文芸・音楽
  • 22.30-22.50 学習の時間(党活動家向放送)
  • 23.30-24.00 文芸・音楽など(再放送)

略歴

参考文献

  • 兵本達吉『日本共産党の戦後秘史』産経新聞社 2005年
  • 藤井冠次『伊藤律と北京・徳田機関』三一書房、1980年
    • 本書の内容には信憑性の点で問題がある点には留意が必要(詳細は伊藤の項目を参照)。

脚注

  1. ^ a b c d e f 「続・不思議放送局」『ラジオライフ』第1巻第4号、三才ブックス、1980年12月1日、16頁。 

関連項目

外部リンク



自由日本放送

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 00:31 UTC 版)

北京機関」の記事における「自由日本放送」の解説

北京機関指導下で、日本向けの「自由日本放送」が、1952年5月1日から開始され1955年12月31日閉鎖された。

※この「自由日本放送」の解説は、「北京機関」の解説の一部です。
「自由日本放送」を含む「北京機関」の記事については、「北京機関」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「自由日本放送」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「自由日本放送」の関連用語

自由日本放送のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



自由日本放送のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの自由日本放送 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの北京機関 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS