おもな構成員
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 00:31 UTC 版)
書記長の徳田を中心としたメンバーであったため所感派に属する者が多かった。 徳田球一 - 1953年に北京で死去(1955年に日本で死が公表された)。 野坂参三 - 1955年に帰国。1992年に除名処分を受けた。 高倉輝 - 1950年6月公職追放、その後ソ連・中国その他を転々とし、1959年4月に帰国。 紺野与次郎 聴濤克巳 - 1950年公職追放、北京機関メンバーとなり、自由日本放送の業務にも従事。のち党代表としてヨーロッパで活動。1958年帰国。 河田賢治 西沢隆二 伊藤律 - 1953年に除名処分を受け収監。1979年に身柄解放され、1980年に帰国。 袴田里見 - 国際派だが、中ソ共産党に党分裂問題への介入を要請するため、一時期北京に滞在した。 椎野悦朗・吉田四郎(北海道地方委員会議長)は、志田重男の代理として北京機関入りを指令されていたものの、伊藤のように嫌疑をかけられる危険を感じて、密出国船(いわゆる「人民艦隊」)乗船直前に渡航を拒否した、とされる。
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