川口の告白とは? わかりやすく解説

川口の告白

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 07:59 UTC 版)

白鳥事件」の記事における「川口の告白」の解説

1998年平成10年)、事件当時北海道地方委員会軍事部門幹部であった川口孝夫が、軍事活動知りすぎて党に日本追放された旨を主張する流されて蜀の国へ』という回顧録を自費出版した。川口その際北海道新聞インタビューで、「謀略ではなかったと言ってよい」と松本清張などが提唱した米軍謀略説否定し党員犯行であったことを認めている。川口は「事件関与していないが、事件後に報告受けました」として中核自衛隊元隊員Tの証言自分受けた報告合致することを認め、さらに党の真相調査に対して事実」を報告していたことも明かされた。なお、村上裁判闘争続けたことについては「彼は、私の入党責任者。『左』の路線の時も、すごい活動家だった。間違い犯したのは共産党方針間違っていたためで。彼個人責任とは考えません。彼も晩年気の毒な人でした」とした。共産党は同紙の取材に対しては「党が分裂していた当時一方の側の問題で、党としてコメントする立場ではない」と言及避けた一方で歴史暗部断層にうごめいて生き血吸い腐肉喰らう男」と川口激しく誹謗した事件関連して中国逃亡した者からも「軍事方針直接実行部隊幹部であったことを自認し非合法軍事方針実践していたことを確認しておりながら、彼は下部組織犯行であって自分関与していないと白を切っている」と川口対し批判の声上がった中国への逃亡の後に帰国した人物は、「当時共産党組織原則厳しく党員絶対服従することが義務付けられていた」「白鳥事件についても村上国治上部組織許可なしに計画実行することなどあり得ない」「川口がこの事件直接策謀者だと信じている」と見解述べている。 『流されて蜀の国へ』に対しては「事件の真相曖昧にしている」との批判もあったが、川口は「妻は何の理由もなく異国送られ十八年もの長き年月強制的に中国滞在させられ悲しくつらい思いをし、苦しめられた。その原因である『白鳥事件』の真相公表を、妻は人生最後まで望んでいた。私は六〇年間長い年月苦労の旅をともにしてきた(妻の名前)の最後の願い実現させる事こそ、私に残され最後の仕事考えている」として事件に関する自らの体験記した『いまなぜ「白鳥事件」の真相公表するか』と題した遺稿2002年書き上げ2004年他界している。この中で川口は、中核自衛隊射撃訓練参加したことや村上の強い要請で『ひろ』の逃亡加担したことを明かしている。

※この「川口の告白」の解説は、「白鳥事件」の解説の一部です。
「川口の告白」を含む「白鳥事件」の記事については、「白鳥事件」の概要を参照ください。

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