『日本の黒い霧』
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1960年、ノンフィクション『日本の黒い霧』の連載がはじまる。『日本の黒い霧』は『文藝春秋』の1960年1月号から連載され、第二次世界大戦終結以後、1945年から1952年までの7年間に日本で起こった10の諸事件(下山事件、もく星号墜落事故、白鳥事件、ラストヴォロフ事件、ゾルゲ事件、鹿地事件、松川事件など)に対する清張の推論とその背景が論じられた。同書は連載中から大きな反響を呼び、「黒い霧」は流行語になった。当時はまだノンフィクションが一般的に読まれる時代ではなく、同ジャンル隆盛のもととなった作品の一つとされている。また、『日本の黒い霧』は、すでに連載中から様々に議論を引き起こした。大岡昇平と論争を行った(後述)。 このあと清張は、実際の歴史を題材にするにあたって、 小説の形式をとったもの(『小説東京帝国大学』など) 評論として書いたもの(『北一輝論』など) 小説ではあるが作中に論文を組み込んでいるもの、 等々、様々なスタイルでの記述を試みていく。清張によると、「最初、これ(『日本の黒い霧』)を発表するとき、私は自分が小説家であるという立場を考え、「小説」として書くつもりであった」。 1961年、前年度の高額納税者番付で作家部門の1位に。以降13回1位。杉並区高井戸に転居。直木賞選考委員を務める。『わるいやつら』『砂の器』『けものみち』『天保図録』を発表。
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