大岡昇平からの批判
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『日本の黒い霧』については、連載中から「アメリカの謀略説に偏りすぎ」、「反米的な意図のもとに書かれた」などの批判が生じていた。批判の急先鋒として現れたのは、清張と同じく1909年に生まれた作家の大岡昇平である。大岡は1961年に「群像」12月号に掲載した『常識的文学論』最終回「松本清張批判」で「これは甚だ危険な作家であるという印象を強めたのである」とまで記述し、「彼の推理はデータに基づいて妥当な判断を下すというよりは、予め日本の黒い霧について意見があり、それに基づいて事実を組み合わせるという風に働いている」などと批判した。 大岡がこのような挑発的な文章を書いた背景には、井上靖の歴史小説、清張や水上勉の推理小説が評論家から支持される「文壇の現状」に対する不満があった。清張も大岡の挑発を見過ごすことはできず、同じく「群像」1962年1月号に『大岡昇平氏のロマンチックな裁断』という文章を発表し、「最初から反米的な意識で試みたのでは少しもない。(中略)それぞれの事件を追及してみて、帰納的にそういう結果になったのに過ぎない」と反論している。 清張のこの反論に対して、大岡が再度反論するようなことはなかった。実は同じ「群像」1961年9月号に掲載した『推理小説論』において、大岡は『日本の黒い霧』に対して彼なりの肯定的な評価を次のとおりに下していた。 彼(松本)が、旧安保時代以来、日本社会の上層部に巣喰うイカサマ師共を飽きることなく摘発し続けた努力は尊敬している。『日本の黒い霧』が「真実」という点で、いかに異論の出る余地があるにしても、私はこの態度は好きだ。どうせほんとの真実なんてものは、だれにもわかりはしないのである。 — 『推理小説論』
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