大岡昇平の意見
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1957年5月、大岡は『藝術新潮』誌上において、普及途上のテレビで放送される舞台中継や海外ドラマの「新劇調」と吹き替えの社会的影響を論考している。 これは築地小劇場の翻訳体やそれに起因した悪癖であり、固定された俳優達が今や指導する側に回ったことで後進が不本意に継承している構図だと解説した。その上で、大勢の人の目に留まることによって芸風が矯正されるチャンスになるのではないかと説き、若い世代には旧弊を壊すことを奨励している。大岡は築地小劇場の開場当時、数えで16歳になっており、回数券を購入して毎月の公演に欠かさず通う青春を送っていた。同時にこの趣味は2年ほどしか続かなかったとも述べている。 新劇節は元来俳優になる素質のない人間に無理に台詞をしゃべらせる必要から生れたものである。地方なまり一つ直す熱心も時間もないままに、時代の必要に応じて、西欧の近代化を輸入しなければならぬという、やむにやまれぬ事情の産物だが、新劇二十年の歴史は、欠点の克服には向っていなかったのである。(中略)映画でもいずれこの手のものは、全部日本語に吹き替えられると思われるので、声優の需要は増し、新劇俳優の卵では間に合わなくなるだろう。台詞を外国の茶の間劇の流儀で、早くいう声優も出て来ている。やたらに早いばかりで、意味はかえって取りにくい傾向があるが、まあ過渡期の現象で止むを得まい。新しい必要が放送局や映画配給会社の方から生まれて、「新劇節」も、過渡期の夢となる日が早く来てほしいものだ。 — 新劇節に悩む
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