『日本三十四孝賛伝』
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木下順庵束髪の記述があるため、元禄6年(1693年)12月以降成立。『二十四孝』の形式に倣い、自身の関係者を主とし、垂仁天皇・天智天皇・醍醐天皇・後光明天皇・徳川家康・北条時頼・徳川義直・徳川頼宣・徳川光圀・細川幽斎・備前忠輝・前田綱利・紫式部・井伊直政・黒田長政・鍋島光茂・板倉重宗・板倉重通・藤原惺窩・松永貞徳・松永尺五・岡本宣就・石川丈山・拝郷次太夫・野間三竹・長岡監物・木下順庵・近江国釈甚良・真鶴村又五郎・長崎宗祐和尚・肥後国米屋作兵衛・肥後国豆腐屋長太郎・今泉村五郎右衛門・貝原益軒・彦根星野市兵衛・滝川松斎・板倉勝重を孝子として喧伝する。元文2年(1737年)6月29日書写された山本読書室旧蔵本が西尾市岩瀬文庫に所蔵される。
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