作兵衛とは? わかりやすく解説

作兵衛

読み方:さくべえ

  1. 巡査ノコトヲ云フ。〔第五類 官吏官舎之部・大阪府
  2. 刑事巡査-〔山窩用語〕。〔第二類 人物風俗
  3. 刑事を云ふ。
  4. 刑事を云ふ。〔山窩語〕
  5. 山窩刑事のこと。

分類 大阪府山窩山窩

隠語大辞典は、明治以降の隠語解説文献や辞典、関係記事などをオリジナルのまま収録しているため、不適切な項目が含れていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ

作兵衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/07 07:02 UTC 版)

義農之墓(松前町筒井の義農公園内)

作兵衛(さくべえ、貞享5年2月10日1688年3月11日) - 享保17年9月23日1732年11月10日))は、江戸時代伊予国松山藩筒井村(現在の愛媛県松前町)の農民。享保の大飢饉の折に翌年に蒔くべき麦種を口にすることなく餓死したため義農作兵衛と称された[1]下見吉十郎、松浦宗案とともに伊予の三農と称される。[要出典]

生涯

伊予国筒井村(現松前町筒井)に貧農の夫婦である作平とツルの子として産まれた[1][2]。正徳元年(1711年)にタマと結婚し、正徳4年(1714年)に長男の作市、享保2年(1717年)に長女のカメが誕生した[2]

作兵衛は40歳くらいまでには、自作地およそ33アール、小作地およそ15アールを持つようになったとされる[2]。しかし、享保16年(1731年)に妻のタマを病で亡くした[2]

享保17年(1732年)、西日本で長雨や洪水、ウンカの大量発生等による享保の大飢饉が発生[1][2]。6月に父の作平、8月に長男の作市を亡くした[2]

深刻な飢饉で翌年に蒔くはずの麦種を食べる者も出始めたが、作兵衛は「一粒の麦種が来年には百粒にも千粒にもなる。自分がわずかの日生きるだけに食べてしまって、どうして来年の種子ができようか」と一粒の麦種も口にしなかった[1]。こうして9月23日に作兵衛は麦種を残して亡くなった[2]。翌10月には長女のカメも亡くなっている[2]

村人たちは、作兵衛の百姓としての心構えに心を打たれ、作兵衛が残した麦種を一粒ずつ大切に蒔くことで次の年を乗り切ったという。また、この話を聞きつけた松山藩は、年貢の軽減、免除の措置を施した。

作兵衛が亡くなった享保17年の12月、松山藩は作兵衛の墓碑を建立するよう指示した[2]

顕彰

義農神社

安永5年(1776年)、松山藩8代藩主の松平定静は、作兵衛の功績を後世に伝えるために「義農」と称え、彼のために碑を建立した[2]

明治14年(1881年)には義農神社が建立された[1][2]大正2年(1913年)には義農精神を受け継ぐために組織された「義農会」により義農作兵衛頌徳碑が建立された[2]。見返り石には、元内務大臣、平田東助の文が刻まれている[2]

「農」という自分の生業に誠実であろうとした作兵衛は、麦種を遺すことで、多くの人々の命を救った。作兵衛の尊い思いは、「義農精神」として今日も脈々と受け継がれている。「天を敬する者は天より恵まる/地に親しむ者は地より与えられる/人を愛する者は人に報ひらる」と刻された作兵衛の墓標がある義農神社では、毎年4月23日に義農祭が行われるなど、地域の人々に親しまれている。昭和56年(1981年)、松前小学校は「義農太鼓」を発足。豊かでたくましい松前人をめざし、社会のため、人のために尽くすという「義農精神」を太鼓の心として小学校児童の手から手へと継承している。

脚注

  1. ^ a b c d e 愛媛県松前町町勢要覧2021”. 松前町. p. 26. 2025年2月6日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 義農作兵衛年表”. 松前町. 2025年2月6日閲覧。

参考文献

  • 愛媛県教育委員会 『17義農作兵衛』
  • 松前町誌編集委員会 『松前町誌』
  • 愛媛県教育会 『愛媛子どものための伝記 第四巻 義農作兵衛』
  • 地域活性化センター 『伝えたいふるさとの百話』

関連項目

外部リンク




作兵衛と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「作兵衛」の関連用語

作兵衛のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



作兵衛のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
皓星社皓星社
Copyright (C) 2025 株式会社皓星社 All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの作兵衛 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS