「黒い霧ブーム」
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清張が12編の中でもっとも力を入れたのは、第1話『下山国鉄総裁謀殺論」である。清張は国鉄職員大量解雇などの情勢や下山が事件前日までに取っていた不審な行動、下着に付着していた油と色素など、さまざまな資料を手掛かりに真相を探った。清張がたどり着いた結論は、事件の影にGHQ内部でのGS(民政局)とG2(参謀第2部)による主導権争いがあり、犯行にかかわったのはG2下部の組織というものであった。 清張以前にも、事件の背後にアメリカ軍の存在を示唆する噂は発生の直後からあり、報道においてもGHQの関与を暗にほのめかすものもごく少数あった。しかし、G2謀殺説と犯行グループの存在を明快に指摘したのは、清張による『下山国鉄総裁謀殺論』が最初であった。 清張の論証は、「60年安保」に揺れる世情の中で日米関係に敏感にならざるを得なかった読者から圧倒的な支持を得た。第1話が好評だったことに清張は自信を深め、以後最終話までGHQ内部の対立を軸にアメリカ軍占領下で発生した重大事件を取り上げ、資料の駆使と自身の視点による論証でその真相に迫ろうとした。 清張は最終話『謀略朝鮮戦争』で、今まで取り上げてきたすべての事件は、朝鮮戦争に向けたアメリカ軍の「戦略的な『伏線』との結論を導き出した。郷原宏は前掲の『清張とその時代』(2009年)で『日本の黒い霧』について「これは清張の得意な読み切り短編シリーズであり、清張は全編を通しての語り手にして名探偵だったといえなくもない」と論じている。 『日本の黒い霧』は、単行本の発売と同時にベストセラーとなった。「黒い霧」という言葉は当時の流行語となり、「黒い霧ブーム」が巻き起こった。「黒い霧」という言葉は不可解な事件や疑惑を形容する言葉となって定着し、1966年に発覚した政界の不祥事や1969年のプロ野球八百長疑惑はそれぞれ「黒い霧事件」と呼ばれた。 半藤一利は『日本の黒い霧』(文春文庫の新装改訂版)の帯の推薦文で「よくぞ現代史の隠された深部にメスを入れたものよ」と書き、さらに「今これだけのものを書ける人はいない、あらためて感嘆せざるをえない」と称賛した。保阪は『松本清張と昭和史』(2006年)で半藤の言葉を「実に的を射た見方」と評価し、「これらの事件の背後にアメリカの謀略があったのではないかという視点そのものは日本のジャーナリズム、あるいは作家の仕事として希有のものであるといえる。事実の如何を問わず、この重要性をまず私たちは客観的に認めるべきではないかと思う」と記述している。
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