「黒いアテナ」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:32 UTC 版)
「枢軸時代」に対する有力な批判のひとつがイギリスの歴史家マーティン・バナールによるものである。バナールは、1987年の自著『黒いアテナ』のなかで、古代ギリシャの女神アテナは、金髪で碧い眼をした「白い女神」ではなく、「黒かった」と述べている。すなわち、バナールは考古学、言語学、諸文献、神話などの綿密な考証から、古代ギリシャの成り立ちは古代エジプトおよびフェニキアの植民地なのであり、その起源はインド・ヨーロッパにあるのではなく、アフリカおよびアジアにこそあったのだとする仮説を提唱している。そして、「古代ギリシャのアーリア起源」説(アーリアン・モデル)にもとづいて古代ギリシャを自らの文明の起源に仕立てあげたのは、近代ヨーロッパ、とくに18世紀後半から始まるドイツを中心とする人種差別的な歴史観にもとづいたものであり、これは一種の歴史の偽造ではないかとして、文明史におけるパラダイムの変換を説いているのである。 小田実もまた、バナールの見解を受けてヤスパースの「枢軸時代」の提唱における「隠れた意図」は、ギリシャの事例で露呈すると述べている。すなわち「枢軸時代」説は、ギリシャ人が、この場合は「ヨーロッパ人」が文明世界の端緒に参画していたという説であり、ヤスパースは結局のところアーリアン・モデルに立脚しているのではないかとの疑念を表明している。
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