きた‐いっき【北一輝】
きたいっき 【北一輝】
北一輝
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北 一輝(きた いっき、1883年〈明治16年〉4月3日 - 1937年〈昭和12年〉8月19日)は、戦前の日本の思想家、社会運動家、国家社会主義者。本名は北 輝次郎(きた てるじろう)。二・二六事件の皇道派青年将校の理論的指導者として逮捕され、軍法会議で死刑判決を受けて刑死した。
- ^ 北一輝における信仰と社会思想の交渉松岡幹夫、東京大学大学院『相関社会科学』第12号、2003年3月
- ^ a b 「兄北一輝を語る」(外部リンク参照)
- ^ 『宮崎滔天, 北一輝』中央公論社, 1982、p34
- ^ a b c 松本一郎『二・二六事件裁判の研究』(株)緑蔭書房、1999年7月12日、269-270頁。
- ^ 松本 (2010, p. 219)
- ^ 松本 (2010, p. 221)
- ^ 秦郁彦『軍ファシズム運動史 3月事件から2・26後まで』河出書房新社、1962年、[要ページ番号]
- ^ 「濃い時制の色、占拠犯罪に広汎な恩赦」『東京日日新聞』1927年2月7日(昭和ニュース事典編纂委員会(編)『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編 毎日コミュニケーションズ、1994年、p.369に掲載)
- ^ 馬場園義馬「北一輝先生の面影」『新勢力』第10巻第2号、新勢力社、1965年2月、[要ページ番号]
- ^ 「北、西田、村中、磯部の死刑執行」『東京朝日新聞』1937年8月20日夕刊(昭和ニュース事典編纂委員会(編)『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編 毎日コミュニケーションズ、1994年、p.570に掲載)
- ^ 北一輝著作集1巻、p354.
- ^ a b 坂野潤治『明治デモクラシー』岩波書店〈岩波新書 新赤版 939〉、2005年3月、p.2-4,199-212
- ^ 北一輝著作集1巻、p354-5.
- ^ 二・二六事件 憲兵隊調書、『北一輝著作集』第三巻、p.434
- ^ 坂野 & 田原 (2006, pp. 190–193)
- ^ 宮本盛太郎著 - 『北一輝研究』(有斐閣、1975年)、『北一輝の人間像 「北日記」を中心に』(有斐閣[有斐閣選書]、1976年)
- ^ 二・二六事件首謀者の一人とされ昭和11年7月12日死刑となる(二・二六事件#第1次処断(昭和11年7月5日まで判決言渡)
- ^ 中田整一 『盗聴 二・二六事件』(文藝春秋 ISBN 4167773430 初版2007年)を参照。なお、1979年・1988年、NHKで放送した中田の”二・二六事件2作品”は放送・報道関係の賞を3つ受賞している。(中田整一#来歴)(北一輝#テレビドキュメンタリー作品)
現在、NHKなど放送においても、このレコードの声を、『北の声とされる音声』と紹介するにとどめ、『北の声』とは断定していない。 - ^ “北一輝の墓”. 一般社団法人 佐渡観光交流機構. 2019年9月14日閲覧。
- ^ a b 魚住昭 (2016年7月3日). “岸信介は革命家・北一輝にここまで傾倒していた〜「国家改造」をめぐる思想の融合”. 講談社. 2019年9月14日閲覧。
北一輝(きた いっき)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 09:15 UTC 版)
革命思想家。ある女性を巫女に見立てて、その巫女が口寄せした予言を日記に付けている。その『霊告日記』で満洲国崩壊を予言したため軍部に監視されている。
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北一輝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 21:08 UTC 版)
北一輝は『国体論及び純正社会主義』で天皇機関説に基づき天皇の神格化を否定し、山路愛山の国家社会主義などを批判した。また『日本改造法案大綱』では、クーデターにより天皇は3年間憲法を停止し戒厳令をしくこと、男子普通選挙の実施、華族制廃止、私有財産の制限などの国家改造と、戦争による広大な帝国の建設を掲げ、後の皇道派にも影響を与えた。北自身は「国家社会主義」という用語を使用していないが、国家主義と社会主義の傾向を併せ持つことや、同時期のナチスとの類似性などから、滝村隆一や芹沢一也や嘉戸一将などの著作で「国家社会主義」と呼んでいる。
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北一輝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/21 09:51 UTC 版)
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北一輝
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「政治的シンクレティズム」の記事における「北一輝」の解説
日本の北一輝も、「シンクレティック」との表現が使われた訳ではないが、内容的には同様に右翼と左翼の両方の側面を指摘されることが多い。 辻貴之は著作「マルクスの悪」で、「右翼の理論家として著名であった北一輝にしても、若いころは幸徳秋水や堺利彦らと交わる左翼であった」と記している。 新野哲也は著作「日本は勝てる戦争になぜ負けたのか」で、「北一輝、大川周明、西田税ら、クーデターのプランナーも、考えていた社会体制は、国家社会主義だった。ヒトラーのナチスも、前身は、ドイツ労働者党で、国家社会主義である。当時は、右翼も左翼も、国家社会主義の傾向をもち」と記している。 宮下隆二は著作「イーハトーブと満洲国: 宮沢賢治と石原莞爾が描いた理想郷」で、北一輝について「従来は右翼の指導者とみられてきた。しかしその国体論を見るかぎり、むしろ社会主義ないし社会民主主義的色彩が強い。」と記している。
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北一輝(きた いっき)
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『日本改造法案大綱』を掲げ、革命を目論む人物。シャーマンであり、革命を阻害する将門を倒す為、暗躍する。
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