満洲国崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 06:43 UTC 版)
1945年(康徳12年)8月8日、ヤルタ会談でのイギリスやアメリカとの密約により、突如ソビエト連邦政府はモスクワの佐藤尚武駐ソ連日本国特命全権大使に対して日ソ中立条約の破棄を通告し、まもなくソ連軍が北西の外蒙古(現在のモンゴル国)及び北東の沿海州の2方向からソ満国境を越えて満洲国に侵攻した。 主力を南方戦線にとられていた関東軍は一方的に敗走し、溥傑やその家族、満洲国の閣僚や関東軍の上層部たちは、ソ連の進撃が進むと首都の新京を放棄して、朝鮮に程近い通化省臨江県の大栗子に避難していた。しかし、8月15日に太平洋戦争に日本が敗北したことにより、その2日後の8月17日に国務院会議が満洲国の解体を上奏、8月18日には大栗子で溥儀が満洲国解体を自ら宣言するとともに皇帝を退位した。
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