満洲国最後の切手
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満洲国で最後に発行された切手は、1945年5月2日に発行された満洲国皇帝の訓民詔書10周年の記念切手であった。この記念切手は、詔書の「一徳一心」を1938年に溥儀の皇宮として作られた同徳殿の瓦の文様風に再現したものを図案としていた。 最後に企画された切手(不発行切手)は飛行機購入寄附金付切手である。この切手は、日本からの戦争への協力の求めに応じ、寄付金で戦闘機3機を献納しようと1943年に満洲国交通部で企画したものであった。そもそも満洲国は第二次世界大戦では連合国に対し宣戦布告をしていなかった。これは連合国の一員であるソ連に軍事侵攻される口実を与えるおそれがあったからである。 切手自体は額面3分に寄附金47分のものと、額面6分に寄附金44分のものを2種類ずつ用意された。それぞれ日本語と中国語で標語が付けられていたが、内容は異なっていた。額面3分には「1機でも多く」と「青年荘志縦横大空」、額面6分には「大空へ征かう」と「献納飛機撃滅宿敵」であった。印刷は日本の印刷局に発注され、1944年10月以前には満洲国に引き渡されていた。しかし担当者に届いたのはさらに数ヶ月先であった。その間に郵便料金が改定されていた(改定は1944年10月である)ことから額面変更が議論され、3分切手は額面5分に寄附金95分、6分切手は額面10分に寄附金90分と、当初の販売予定価格の2倍にすることとし、額面を改訂した加刷で対応することにした。また発行日は航空日にあたる1945年9月20日にすることとなった。 しかし、満洲国は8月18日に崩壊し、切手の発行目的も発売する組織も喪失した。そのため、切手は不発行となり倉庫で放置されていた。多くは戦禍のなかで滅失したが、その一部が盗難に遭い市場に横流しされた。少なくとも20~30セットが現存しており、オークションに出品されれば高額で競り落とされるほど人気があるという。
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