満洲国最後の切手とは? わかりやすく解説

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満洲国最後の切手

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 20:32 UTC 版)

満洲国の郵便史」の記事における「満洲国最後の切手」の解説

満洲国最後に発行され切手は、1945年5月2日発行され満洲国皇帝の訓民詔書10周年記念切手であった。この記念切手は、詔書の「一徳一心」を1938年溥儀皇宮として作られ同徳殿の瓦の文様風に再現したものを図案としていた。 最後に企画され切手不発行切手)は飛行機購入寄附金付切手である。この切手は、日本からの戦争への協力求め応じ寄付金戦闘機3機を献納しようと1943年満洲国交通部企画したものであったそもそも満洲国第二次世界大戦では連合国対し宣戦布告をしていなかった。これは連合国一員であるソ連軍事侵攻される口実与えるおそれがあったからである。 切手自体額面3分に寄附金47分のものと、額面6分寄附金44分のものを2種類ずつ用意された。それぞれ日本語中国語標語付けられていたが、内容異なっていた。額面3分には「1機でも多く」と「青年荘志縦横大空」、額面6分には「大空へ征かう」と「献納飛機撃滅宿敵であった印刷日本印刷局発注され1944年10月以前には満洲国引き渡されていた。しかし担当者届いたのはさらに数ヶ月であったその間郵便料金改定されていた(改定1944年10月である)ことから額面変更議論され、3分切手額面5分に寄附金95分、6分切手額面10分に寄附金90分と、当初販売予定価格の2倍にすることとし額面改訂した加刷対応することにした。また発行日航空日にあたる1945年9月20日にすることとなった。 しかし、満洲国8月18日崩壊し切手発行目的発売する組織喪失した。そのため、切手不発行となり倉庫放置されていた。多く戦禍のなかで滅失したが、その一部盗難遭い市場横流しされた。少なくとも2030セット現存しており、オークション出品されれば高額競り落とされるほど人気があるという。

※この「満洲国最後の切手」の解説は、「満洲国の郵便史」の解説の一部です。
「満洲国最後の切手」を含む「満洲国の郵便史」の記事については、「満洲国の郵便史」の概要を参照ください。

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