満洲攻略
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 03:44 UTC 版)
その後しばらく、馮勝は北元攻略には参加せず、徐達や李文忠が担当していたらしい。 徐達・李文忠の死後、元の旧将の納哈出が独立して女直(満洲)北部を支配していた。納哈出は金山を本拠地として数十万の兵を持っており、たびたび遼東を侵略した。そこで朱元璋は洪武20年(1387年)、馮勝を征虜大将軍に任じて、傅友徳・藍玉を副将軍として20万騎で征伐に向かった。趙庸・常茂(常遇春の子で馮勝の娘婿)・李景隆・鄧鎮等の主要な将軍は皆従軍した。馮勝は松亭関から出撃し、大寧・寛河・会州・富峪の4城を降した。そして捕虜にしていた納哈出の部下の乃剌吾を降伏の使者として送り出した。納哈出は乃剌吾を見るや「おまえ、生きていたのか!」と驚き、乃剌吾は朱元璋の世話になっていたことを伝えた。そのころ馮勝の本軍は女直の苦屯で納哈出の部下観童を降伏させていた。 納哈出は馮勝に降伏の使者を送った。馮勝は了承し、部下の藍玉を使者として送った。藍玉は納哈出と面談し、出される酒を大喜びで飲むと、上着を次々脱いで軽装になった。納哈出はそんな藍玉に降伏するのが不満で左右に愚痴をこぼしていたところ、それまで黙って座っていた馮勝の娘婿の常茂がいきなり納哈出の手を切りつけ、降伏を認めさせた。納哈出の部下や妻子十余万は松花河で待っていたが、納哈出が斬られたと聞き動揺が広がった。馮勝は納哈出の部下観童を遣わして降伏させた。さらに家畜も召し上げた。さらに残兵2万余も軍に加えた。納哈出の部下で逆らった者がいたので殺した。馮勝は帰還して、朱元璋に常茂の行動や捕虜20万を得たことを報告すると、朱元璋は大いに喜んだ。 ところがこの後、馮勝の不祥事が発覚する。馮勝は獲得した良馬をひそかに懐に入れており、使者は酒に酔った挙句に納哈出の妻の宝石を勝手に奪いとり、殺した敵の妻をわずか2日後に自分の女にしていた。その他にも数多くの不祥事が見つかり、朱元璋は激怒して馮勝を大将軍から解任し、諸将の手柄も皆取り消しとした。
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