満洲国成立と利権引継
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 20:26 UTC 版)
「満洲国国有鉄道」の記事における「満洲国成立と利権引継」の解説
この鉄道を含む日本と奉天軍閥との対立という膠着状態を破るため、関東軍は行動を開始。1931年9月18日にいわゆる柳条湖事件による自作自演を行って奉天軍閥に罪をなすりつけ、一気に交戦状態へと持ち込んだ(満洲事変)。 この交戦により、奉天軍閥は10月には崩壊。東北交通委員会も自然解散となったため、代わりに関東軍によって同年10月23日に「新東北交通委員会」が組織され、鉄道運営を一時的に引き継ぐことになった。 その後、翌1932年2月に関東軍は満洲全土を占領するに至った。彼らは国際輿論の批判避けや軍内部の支持取りつけのために傀儡政権の樹立を目論み、同年3月1日に満洲国を成立させた。 これにより新東北交通委員会が請け負っていた鉄道運営は、「満洲国交通部」(交通省)が引き継ぐことになった。ただしこの時点ではまだ国有鉄道の扱いではなく、奉天軍閥など中国側が持っていた利権を引き継いだのみで、各鉄道会社は独立した状態であった。
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