満洲国への売却
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 06:16 UTC 版)
1932年に満洲国が成立すると、ソ連は満洲国を承認しなかったものの、東清鉄道は事実上の満洲国とソ連の合弁となり、1933年には満洲国交通部がその名称を北満鉄路に変更した。日本はソ連との衝突を避けるため鉄道の売却を提案したが両者の間で長らく価格で折り合いが付かず、ようやく1935年3月になってソ連は満州国と北満鉄道讓渡協定を結んで北満鉄路全線の利権を満洲国に売却し、満洲から撤退した。こうして旧・東清鉄道は満洲国有鉄道となり、経営は満鉄に委託された。また、軌間も1937年まではロシア建設時の広軌(1,520mm)であったが、満鉄に合わせて標準軌(1,435mm)に改軌された。
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