満洲国での運用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/11 17:21 UTC 版)
御璽及び国璽は、帝政実施に伴って新設された満洲国尚書府が尚蔵し、詔書・勅書・その他の文書の用璽に関する事務を掌った(尚書府官制(康徳元年帝室令第1号)第1條)。なお、帝政初期は満洲国皇帝の溥儀自身が手元に保管して下げ渡さず、用璽も尚書府に代わって内廷(満州国皇宮内の皇帝の私的空間)の使用人が担当していたが、御璽と国璽を押し間違えたのを機会に、尚書府秘書官長が用宝(用璽)は尚書府秘書官に任せられたいと奏上して許され、以後は秘書官の一人がその都度内廷へ伺候して用璽を担当した。しかし、勲章が一度に何千人にも下賜されるようになると、大量の叙勲状(勲記)に国璽を押す必要があり、尚書府秘書官が内廷内の皇帝御居間に詰め切りとなる事態が起こったため、再度奏請を行い、毎朝、両璽(御璽及び国璽)の下げ渡しを受けて尚書府大臣室に保管し、夕方に内廷へ戻す運用に改めた。また、皇帝が地方へ出かける時は、尚書府秘書官の一人が、皮製の箱に納められた御璽・国璽を黄色い風呂敷に包んで首にかけてお供をした。
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