中朝辺界条約とは? わかりやすく解説

中朝辺界条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 02:40 UTC 版)

間島」の記事における「中朝辺界条約」の解説

間島は、1932年昭和7年)に成立した満洲国では延吉首府とする間島省とした。満洲国崩壊後に満洲手に入れた中華人民共和国は、間島中国領とするものの1952年には延辺朝鮮族自治区1955年延辺朝鮮族自治州となる)を設置して朝鮮族一定の自治認めている。1962年朝鮮民主主義人民共和国との間で結ばれた「中朝辺界条約」(ko:조중 변계 조약)によって白頭山天池上に中朝国境線が引かれ1887年朝鮮提案と同じ鴨緑江豆満江国境定め間島中国領とすることが両国間で確定した。この条約により天池の54.5%が北朝鮮に、45.5%が中国領としてほぼ半分分割されるになったまた、鴨緑江豆満江451の島と砂島確認され264か所、面積で85.5%が北朝鮮属し天池間島協約当時比べ減少した面積多くなく、北朝鮮が同条約締結の際に朝鮮戦争参戦見返りとして中国白頭山一部譲り渡したという説 は事実とは異なとされる。中朝辺界条約では、ひとまず鴨緑江豆満江境界にするとし、後に白頭山から流れ出るそれぞれの川の水源となる小川探し、それをもとに国境引ければ良い考えていたが、後々詳しく調査したところ、豆満江長白山天池から直接発しているのではなく、やや離れた湖から発していることがわかったこのため1986年中国北朝鮮はこの問題協議し1990年21個の境界碑を立てて豆満江から天池への国境線引いた。これにより、白頭山天池を囲む大きな16個のうち、9個は北朝鮮に、7個は中国帰属することになり、白頭山天地沿岸全体60%が北朝鮮領として確定した2005年朝鮮日報このうち17番目の境界碑が韓国が「土門」河に比定する五道白河脇に設置されていることを確認し五道白河北朝鮮側から流れ出ていることを報告している。

※この「中朝辺界条約」の解説は、「間島」の解説の一部です。
「中朝辺界条約」を含む「間島」の記事については、「間島」の概要を参照ください。

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