法華経信仰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:52 UTC 版)
源頼朝は『法華経』の写経や埋経、暗誦(あんじゅ)などを行い、「法華八幡の持者」と称された。 1185年(文治元)1月1日、源頼朝、鶴岡宮に詣で、神馬2疋を奉納す、次いで法華経供養を行う、尊暁導師を勤む(吾妻鏡)。 1188年(文治4)4月23日、源頼朝、持仏堂に於て法華経講讃を始行す。宝蔵坊義慶唱導師を勤む(吾妻鏡)。 1190年(建久元)8月15日、鶴岡宮放生会、次いで法華経供養を行う。源頼朝参詣す、舞楽あり(吾妻鏡)。 1191年(建久2)8月15日、鶴岡宮放生会、源頼朝参詣す、次いで法華経供養を行う、導師安楽坊重慶、童舞は筥根の児童これに奉仕す(吾妻鏡)。 1195年(建久6)2月11日、神楽あり、将軍頼朝参詣す、次いで宝前に於て法華経を供養す、永巌坊定豪導師を勤む(吾妻鏡)。
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