研究内容・業績
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高坂正顕、西谷啓治、高山岩男と共に「京都学派四天王」と呼ばれる。この四人は1942年(昭和17年)から翌年にかけて『中央公論』誌上で三回にわたり掲載された「世界史的立場と日本」座談会(「世界史的立場と日本」昭和十七年一月号、「東亜共栄圏の倫理性と歴史性」昭和十七年四月号、「総力戦の哲学」昭和十八年一月号)の出席者である。 若き日からの友人に唐木順三がいる。
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研究内容・業績
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「ジェリー・ノーマン」の記事における「研究内容・業績」の解説
ノーマンは中国語の歴史的変化を知るためには従来のように韻書を使ったり漢字の読みを使うかわりに、比較言語学の方法を使って方言を比較することによって祖語を構築すべきであると主張した。ノーマンはベルンハルド・カールグレンだけでなく、カールグレンの批判者であるエドウィン・プリーブランクのことも「新カールグレン学派」と呼んで批判した。 ノーマンは閩祖語を再構し、また閩語音がいくつもの階層からなっていることを指摘した。ノーマンが閩語のいくつかの特徴を中古音以前のものとしたことについては、それらを二次的な発展とする張光宇の反論がある。
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研究内容・業績
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「ジョン・ルパート・ファース」の記事における「研究内容・業績」の解説
ファースの言語学理論のうちでもっとも有名なのはコンテクスト理論と韻律的音韻分析である。 ファースはアメリカ構造主義言語学が意味の研究をなおざりにしていることを批判し、意味を言語研究の中心にすえた。ファースはマリノフスキのいう「状況のコンテクスト」(context of situation)を重視し、意味とはコンテクストにおける機能のことであると考えた。 韻律的音韻分析は、当時主流であった音韻論と大きく異なっていた。音素は単なる転写のための便法としてのみ認め、音韻分析においては同じ音でも環境(音節中の位置など)によって異なる分析をすべきだとした。また、ファースは分節的な音の単位(phonematic units)のほかに鼻音化・声門化・そり舌化などの非分節的な特徴である韻律(prosody)を認めた。 道具主義者であったファースは、発話の背後にある独立したラングのような存在を認めなかった。言語学は真理を追求するためのものではなく、したがって言語理論は無数にあり得たし、言語の一部分だけを説明できる理論であってもよかった(polysystemacy)。
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研究内容・業績
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1973年に学術雑誌『中国語言学報』(Journal of Chinese Linguistics)を創刊した。 王士元は1969年の論文において、音変化がすべての語彙について例外なく起きるという青年文法学派以来の見方には変更が必要であると主張し、少数の語からはじまって時間をかけて他の語に拡散するという、かつてのフーゴー・シューハルトに近い理論を立てた。この論文は語彙拡散に関する早期の研究のひとつとして知られる。 “Competing changes as cause of residue” (pdf). Language 45: 9-25. (1969). http://www.ee.cuhk.edu.hk/~wsywang/publications/cause_residue.pdf. のちに生物学者・計算機科学者と協力して、言語の起源と進化に関する学際的研究を行っている。王士元はルイジ・ルーカ・カヴァッリ=スフォルツァの遺伝学の方法を中国の諸言語(中国語、チベット・ビルマ語族、ミャオ・ヤオ語族、タイ・カダイ諸語)の系統関係の分析に適用した。『中国的語言及方言的分類』(鄧暁華と共著、中華書局2009) 心理学者の曽志朗(中国語版)・洪蘭(中国語版)夫妻と行った実験で、中国人が漢字を認識するときに読みを介在させているという結果を得た。Tzeng, Ovid J-L; Hung, Daisy L; Wang, William S-Y (1977). “Speech Recoding in Reading Chinese Characters”. Journal of Experimental Psychology: Human Learning and Memory 3 (6): 621-630. 1960年代には生成文法を中国語に応用する試みを行った。この方面では「了・没有」などを変形文法の枠組みで分析した「中国語の2つのアスペクト記号」が有名である。(日本語による紹介:望月八十吉「中国語の2つのアスペクト記号」『中国語学』第157号、日本中国語学会、1966年、 1-6頁。)“Two aspect markers in Mandarin”. Language 41 (3): 457-470. (1965). 王士元はまた中国語から英語への機械翻訳の研究も行った。
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研究内容・業績
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丁声樹は1930年代に古代中国語の研究で有名になった。とくに高く評価された論文は「釈否定詞‘弗’ ‘不’」(1935)で、歴史語言研究所所長の傅斯年はこの論文に原稿料として異例の銀円200元を支払った。王力は『中国文法学初探』(1940)でベルンハルド・カールグレンが「我・吾」の区別を格変化とした説を批判し、それとくらべて丁声樹のこの論文を持ち上げている。また呂叔湘はこの論文に啓発されて「論毋与勿」(1941)を書いた。 丁声樹は趙元任の主導する湖北方言調査に参加した経験があり、中華人民共和国成立後の方言調査を指導した。中華人民共和国時代の著作の多くは共著か委員会名義になっており、どこまでが丁声樹本人の考えであるのわかりづらい。共著の主な作品に『漢語音韻講義』(1957年油印、のち1984年に上海教育出版社から出版。本文は丁声樹・表は李栄による)、『古今字音対照手冊』(科学出版社1958、李栄と共著)、『昌黎方言志』(北京科学出版社1960)、『現代漢語語法講話』(商務印書館1961、8人の共著)などがある。1960年代以降は『現代漢語詞典』に専心した。 1986年の李方桂のインタビューによると、丁声樹は西洋の言語学と中国の文献学の両方にもっともよく通じていたし、おそらく現在でもそうだろうが、しかし彼は病床にあり、また自分では論文を書かず、そのかわりに他人が書くのを手伝っていたという。
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研究内容・業績
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「ヴァルター・ブルーノ・ヘニング」の記事における「研究内容・業績」の解説
ヘニングはアンドレアスによるトルファンのマニ教文書の校訂・出版作業を引きついだ。 Mitteliranische Manichaica aus Chinesisch-Turkestan. Akademie der Wissenschaften. (1932,1933,1934) また、自らマニ教ソグド語の研究を発表した。 Ein manichäisches Bet- und Beichtbuch. Akademie der Wissenschaften. (1937) ヘニングは「トカラ語」という名称を誤りとし、トカラ語Aをアルギ(焉耆)語とした。一方トカラ語Bはグティ(亀茲)語であり、「月氏」という漢字表記はグティの音訳であるとした。 “Argi and the “Tocharians””. Bulletin of the School of Oriental Studies 9 (3): 545-564. (1938). JSTOR 608222. また、ナクシェ・ロスタムのカアバイェ・ザルトシュトの3言語碑文(パフラヴィー語、パルティア語、ギリシア語、当初はパフラヴィー語部分しか知られていなかった)を研究し、これがシャープール1世がローマ帝国に勝利したことを記念する碑文であることを明らかにした。 “The Great Inscription of Šāpūr I”. Bulletin of the School of Oriental Studies 9 (4): 823-849. (1939). JSTOR 607969. ソグド語の語彙に関する主要な著書『ソグディカ』は、マン島に収容されている間に出版された。 Sogdica. Royal Asiatic Society. (1940) ヘニングは、オーレル・スタインの発見したソグド語古代書簡の年代を312-313年とした。 “The Date of the Sogdian Ancient Letters”. Bulletin of the School of Oriental and African Studies 12 (3/4): 601-605. (1948). JSTOR 608717. ヘニングはホラズム語研究の草分けだった。 “The Khwarezmian Language”. Zeki Velidi Togan armağan. Istanbul. (1956). pp. 421-436 ヘニングはスルフ・コタルのバクトリア語碑文を解読し(「バクトリア語」という名前自体ヘニングによる)、この言語がクシャーナ朝の王の母語であると論じた。 “The Bactrian Inscription”. Bulletin of the School of Oriental and African Studies 23 (1): 47-55. (1960). JSTOR 609886. “Surkh-Kotal und Kaniska”. Zeitschrift der Deutschen Morgenländischen Gesellschaft 115: 75-87. (1965). http://menadoc.bibliothek.uni-halle.de/dmg/periodical/structure/120330. ヘニングは中期イランのさまざまな文字で書かれた碑文に関する詳細な研究を著した。 “Mitteliranisch”. Iranistik. Handbuch der Orientalistik. Leiden: Brill. (1958). pp. 20-130 歴史学の方面では、ザラスシュトラの時代と出身地を考察したが、他の学者は必ずしも賛成していない。 Zoroaster, Politician or Witch-doctor?. Oxford University Press. (1951) (1949年の講義を書物にしたもの) また、『摩尼光仏教法儀略』を使用してサーサーン朝の王の在位年とマニの生卒年を確定しようとした。 “The Compendium of the Doctrines and Styles of the Teaching of Mani, the Buddha of Light”. Asia Major, New Series 3 (2): 184-212. (1953). http://www2.ihp.sinica.edu.tw/file/1677UUrJaWx.pdf. (G. Haloun と共著)
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「ルイジ・ルーカ・カヴァッリ=スフォルツァ」の記事における「研究内容・業績」の解説
血液型の地理的分布の研究を、人類集団の移住や拡散の歴史との関係についての研究へと発展させた。1960年代人類集団の系統樹作成を提唱し、最節約法、最尤法、距離行列法などの方法論を導入した。その後、人類の遺伝集団と人間の文化や言語との関係にも関心を広げ、共同研究を行っている。 多数の論文のほか、一般向けの解説書・エッセーも多く著している。かつて当たり前のように語られていた「人種」の概念が、遺伝学的にはほとんど意味をもたないことを明らかにしてきた。最近では、世界中の人の遺伝データを集積するヒトゲノム多様性プロジェクトを提唱し積極的に推進しているが、これに対して一部から「新植民地主義的である」との批判がある。
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上古音に関して、魏建功は自ら新しい推定音韻体系を立てることはなかったが、1920年代にベルンハルド・カールグレンらが上古音に -d、-g などの有声閉鎖音韻尾があったという説を唱えると、「古陰陽入三声考」(『国学季刊』2-2、1929)や「陰陽入三声考」(『国学季刊』2-4、1930)を発表してその説に反対した。魏建功はカールグレン説に対抗して、これらの韻は有声閉鎖音韻尾ではなく -j -w のような音で終わっていたと考えた。古音に関する主著は『古音系研究』(1935)である。 魏建功はまた韻書の発展史を研究した。『十韻匯編』(劉復・羅常培と共著、1936年)は敦煌などの切韻系韻書を集めた書物である。 魏建功は学生時代から民謡や方言に関する研究があり、劉復・白滌洲とともに調査した結果を「黟県方音調査録」(『国学季刊』4-4、1935)にまとめている。 辞典編纂に関しては、『新華字典』にかかわる以前の1946年に小中学生用の小字典を編纂しており(未完成)、『新華字典』はこの小字典を元にしている所がある。『新華字典』以外に『漢語成語小詞典』(1959)の編集にもかかわっている。 『魏建功文集』(江蘇人民出版社2001)全5巻が出版されている。
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「エドワード・バーネット・タイラー」の記事における「研究内容・業績」の解説
タイラーは文化進化研究の先駆者の一人と考えられている。 『原始文化』と『人類学』において、彼はチャールズ・ダーウィンの進化論をもとに、人類学を科学的な研究として位置づける試みを行った。彼は社会や宗教の発展に機能的な側面があることを信じていた。彼とその子弟による研究は、現在でも19世紀における社会人類学の主要な成果であると考えられている。彼は人類の歴史研究や先史時代の研究によって、イギリスの社会の形成基盤が明らかになると信じていた。 彼はアニミズムを「すべての物や自然現象に、霊魂や精神が宿るという思考」と定義した。 彼にとってはアニミズムは、宗教の初期段階なのである。
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研究内容・業績
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ダンバーは英国学士院の「ルーシーから言語まで」プロジェクトの責任者を務めている。彼が執筆したか共同執筆した論文のうちいくつかはデジタル化され、リバプール大学の進化心理学・行動生態学リサーチグループから入手可能である。 専門は霊長類の行動。彼はダンバー数の定式化でよく知られている。人間にとって、平均約150人(100-230人)が「それぞれと安定した関係を維持できる個体数の認知的上限」であると述べている。
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研究内容・業績
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「ジョセフ・ジェイコブス」の記事における「研究内容・業績」の解説
民話の研究を行い、「ジャックと豆の木」「三匹の子豚」「トム・ティット・トット」などが知られる。
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1985年、ロラン・バルトの著書『Incidents(英語版)(仏:アンシダン、英:インシデント)』を訳すにあたり、通常「出来事」「偶発事」などと訳されるが、沢崎は「偶景」という言葉を新たに造った。 バルト本人の著書での「偶景(アンシダン)」の概念の説明では、「偶発的な小さな出来事、日常の些事、事故よりもはるかに重大ではないが、しかしおそらく事故よりももっと不安な出来事」とある。 仏文科助手を務めていた内田樹は沢崎について、「温厚な方であったが、同時にたいへん篤学の人でもあった」と評している。
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J・R・R・トールキンやローズマリー・サトクリフの作品の訳者としても知られる。
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研究内容・業績
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旧大名家の家宝を研究テーマとした。中でも、徳川美術館所蔵の国宝《源氏物語絵巻》の研究で知られる。 徳川家康の遺訓だとされていた「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし」は、家康のものではなく、徳川光圀のものであると確認した。
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研究内容・業績
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量子力学の勃興期に渡欧した渡辺は、ド・ブロイ、ハイゼンベルク、ボーア等と直接交わり、処女作『Le deuxième théorème de la thermodynamique et la mécanique ondulatoire(熱力学の第二法則と波動力学)』(1935年)において、熱力学と量子力学の関係を解明し、熱力学におけるエントロピー概念の一般的な定式化を行う。熱力学的な物理現象の不可逆性に対する渡辺の強い関心は、アンリ・ベルクソンの哲学等の影響もあって、哲学的視野を含んだ時間の本質に対する探究へと進み、時間論の初期の名著とされる『時間』(1948年)、『時間の歴史 : 物理学を貫くもの』(1973年)、『時間と人間』(1979年)等の一連の著作に結実する。1980年の『生命と自由』では、こうした物理学的・哲学的思索を生命現象にまで推し進め、生命とは自由の追求であると主張する。 一方、エントロピー概念の情報理論への応用可能性に早くから着目した渡辺は、1969年の『Knowing and guessing(知識と推測)』において、人間の知的活動の基本要素である「知ること」と「推測すること」を数理的・定量的手段を用いて分析・再構成し、「認識学(epistemometrics)」を提唱する。また、1985年の『Pattern recognition(パターン認識)』では、知覚を中心とする人間の認識過程を機械と比較し、人間のパターン認識はエントロピー最小化原理に基づく情報の圧縮であることを明らかにする。2つの与件を区別する有限個の述語が与えられたとき、その2つの与件に共通する述語の数は与件の選び方によらず一定であることから、すべての事物は同等の類似性を有することを証明した「みにくいアヒルの子の定理(Theorem of the ugly duckling)」は、述語の重要性を決定するのは人間の価値体系であることを示した点で重要である。 こうした理論的活動にとどまらず、実践的な著作も少なからず発表しており、戦時中においてもリベラリズムを貫き、『科学日本』、『帝大新聞』、『科学人』等の各誌で、戦争に協力した科学者を批判する。また、戦後は『思想の科学』の創立同人に加わるとともに、『中央公論』、『文藝春秋』、『婦人公論』等の各誌で、社会問題・女性問題についても積極的な発言を行った。敗戦直後において、マルクス主義から独立した社会主義論を構想した初期論文集が晩年に出版されている。
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研究内容・業績
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民衆史の立場にたち、抑圧される民衆とその叛乱という視点から徳川時代を研究した。指導学生に田崎宣義一橋大名誉教授、米倉誠一郎一橋大名誉教授、酒寄雅志国学院大学栃木短期大学教授、稲田雅洋東京外国語大学名誉教授などがいる。 『幕末社会論』などで「豪農ー半プロ」への農民層分解を研究し、「世直し状況」論を提唱した。また、『幕藩制国家論』で幕府・藩と人民の封建的関係を問題とする幕藩体制(構造論)から幕府ー藩を一つの国家として考察する「幕藩制国家」論を開始した。 韓国の経済史学者李栄薫は、佐々木の「アジアの革命の主体として貧農が歴史的に形成され、発展してきた過程を追求することが、アジアの革命の時代を生きている歴史学徒に付与された任務」という内容の論文を読んで大きな感銘を受け、経済史学者としておこなうべきことを発見したと述べている。
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研究内容・業績
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「アレクサンドル・ドラグノフ」の記事における「研究内容・業績」の解説
ドラグノフの業績は多方面にわたる。 中国語の音韻史に関しては、中古音の咍灰覃韻の主母音をベルンハルド・カールグレンらが â ([ɑ]) としたのに反対して、これを [ə] に近い音に修正する案を示した。 “Contribution to the Reconstruction of Ancient Chinese”. T'oung Pao 26 (1): 1-16. (1928). ドラグノフはパスパ文字やペルシャ文字資料を使って元朝の中国語の音を研究した。また、西夏文字文献も研究した。 “The hP'ags-pa Script and Ancient Mandarin”. Известия Академии Наук СССР, отделение гуманитарных наук 9,11: 627-647,775-799. (1930). “A Persian Transcription of Ancient Mandarin”. Известия Академии Наук СССР, отделение общественных наук 7: 359-375. (1931). チベット語の音韻史の研究も行った。 “Voiced Plosives and Affricates in Ancient Tibetan”. 中央研究院歴史語言研究所集刊 7 (2): 165-174. (1936). “Особенности фонологическои системы древнетибетского языка”. Записки Института востоковедения Академии Наук СССР 7: 284-295. (1939). ドラグノフ夫妻は湖南省の湘潭・湘郷方言を研究して、湘語を当時のいわゆる中国語五大方言区から独立した第六の方言区とした。 “Диалекты Сянтань и Сянсян (Хунань) -- к латинизации диалектов Центрального Китая”. Известия Академии Наук СССР, отделение гуманитарных наук 7: 239-269. (1932). ドラグノフ夫妻は1930年代以降ドゥンガン語を研究した。 Dragunow, Aleksander und Katharina (1936). “Über die dunganische Sprache”. Archiv Orientální 8 (1): 34-48. 橋本萬太郎による日本語訳「東干語について」(『中国語学』220、1974年)あり。 “Исследования в области дунганской грамматики 1. категория вида и времени в дунганском языке (диалект Ганьсу)”. Труды Института востоковедения Академии Наук СССР 27. (1940). ドラグノフはドゥンガン語のラテン文字による正書法の制定に参加した。また、ラテン化新文字の制定にもかかわった。 中国語文法に関する主著は1952年の『現代中国語文法の研究』である。この著作でもドゥンガン語を頻繁に利用している。また、ミュリー神父による熱河方言の研究を利用している。 Исследования по грамматике современного китайского языка, 1. Часть речи. Москва - Ленинград: Издательство Академии Наук СССР. (1952) 『現代漢語語法研究』の題で中国語に翻訳されている。日本では橋本萬太郎により一部分が日本語訳されている。(『中国語学』1957) 「中国民族語の音節構造」は没後に発表された(夫婦での共著)。 “Структура слога в китайском национальном языке”. Советское востоковедение 1. (1955). 橋本萬太郎による紹介あり(『中国語学』55、1956年)。 『現代中国語口語の文法体系』は第二次世界大戦中の1941年に書かれたものだが、ドラグノフの没後、教え子のセルゲイ・ヤホントフによって編集出版された。 Грамматическая система современного китайского разговорного языка. Ленинград: Издательство Ленинградского Университета. (1962) 中国語文法研究においてもドゥンガン語の資料を大いに活用した。
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研究内容・業績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 14:04 UTC 版)
『チェーホフ・コレクション』(未知谷)の主要な訳者のひとり。 指導学生に根村亮(新潟工科大学教授)、杉浦秀一(北海道大学教授)など。
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研究内容・業績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 23:49 UTC 版)
弥生時代の人骨を発見し、日本人は混血民族だと発表した。 「山中源二郎」(やまなかげんじろう)名義で著述を行うこともあり、また「林熊生」(りんゆうせい)の筆名で小説も書いた。
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研究内容・業績
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「アントワーヌ=イザーク・シルヴェストル・ド・サシ」の記事における「研究内容・業績」の解説
ド・サシは1787年から1791年までの間にナクシェ・ロスタムの遺跡がアケメネス朝とサーサーン朝諸王のものであることを明らかにし、パフラヴィー文字碑文の解読に成功した(パフラヴィー語そのものはアンクティル・デュペロンによって西洋に紹介されており、ド・サシはその知識を利用して解読した)。のちにグローテフェントはド・サシの研究結果を利用してペルセポリスの古代ペルシア楔形文字刻文を解読した。 Mémoires sur diverses antiquités de la Perse. Paris: Imprimerie nationale exécutive du Louvre. (1793). https://archive.org/details/mmoiressurdiver00khvgoog 1801年に大臣ジャン=アントワーヌ・シャプタルはロゼッタ・ストーンの碑文の写しをド・サシに送った。ド・サシ本人はほとんど解読することができなかったが、碑文の写しをスウェーデンの東洋学者であるヨハン・ダヴィド・オーケルブラドに送った。オーケルブラドも解読には失敗したが、デモティック部分から16のアルファベットを取りだすことに成功した。 詳細は「古代エジプト文字の解読」を参照 1807年、16歳のジャン=フランソワ・シャンポリオンは兄につれられてはじめてパリを訪れ、ド・サシに会った。ド・サシとシャンポリオンの関係は複雑であり、とくに百日天下でシャンポリオンが熱烈にナポレオンを賛美したために、王党主義者であるド・サシとの関係が悪くなった。ド・サシはトマス・ヤングへの手紙でシャンポリオンを批判し、1815年にシャンポリオンがコプト語の文法と辞書を公刊しようとしたときにもド・サシの反対によって拒否された。しかし、1822年にシャンポリオンがヒエログリフの解読に成功したことを碑文アカデミーで発表すると、アカデミーの院長であるド・サシはまっさきに祝意を述べた。 ド・サシはドゥルーズ派の宗教を研究していた。没後に『ドゥルーズ派の宗教紹介』(Exposé de la religion des Druzes)が出版された。 Exposé de la religion des druzes. Paris: Imprimerie royale. (1838). https://archive.org/details/exposdelareligi00sacygoog vol. 2 教育者として、アラビア語の文法書と読本を編纂している。 Grammaire arabe. 1 (3rd ed.). (1904) [1810]. https://archive.org/details/grammairearabede01silvuoft vol.2 Chrestomathie arabe. 1. (1826) [1806]. https://archive.org/details/chrestomathiear01sacygoog vol. 2 vol. 3 Anthologie grammaticale arabe : suite a la Chrestomathie arabe. (1827). https://archive.org/details/almukhtarminkutu00silv vol. 2 翻訳書にアブド・アッラティーフ・アルバグダーディー(英語版)の『エジプト事情』がある。 Relation de l'Égypte, par Abd-allatif. Paris: Imprimerie impériale. (1810). https://archive.org/details/relationdelegypt00abda ド・サシが校訂版を作ったアラビア語の文献には、『カリーラとディムナ』、アル・ハリーリー、イブン・マーリク『アルフィーヤ』(韻文で書かれた13世紀の文法書)がある。 Calila et dimna, ou fables de Bidpai, en arabe. Paris: Imprimerie royale. (1816). https://archive.org/details/bub_gb_UBVAqOFzX_8C Les séances de Hariri publiées en arabe avec un commentaire choisi. (1847) [1822]. https://archive.org/details/lessances01simi vol. 2 Alfiyya, ou la quintessence de la grammaire arabe, ouvrage de Djémal-Eddin Mohammed, connu sous le nom d'Ebn-Malec. Paris. (1833). https://archive.org/details/alfiyyaoulaquint00muamuoft
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研究内容・業績
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建築材・家具の害虫ヒラタキクイムシの生理・生態の研究、防除に関連したシロアリの社会性行動の研究、シロアリ巣内の共生甲虫類の研究、針葉樹の穿孔性害虫の生態の研究、サクラ・ウメ・モモの外来種害虫クビアカツヤカミキリの生態と防除の研究などを行う。 『木質昆虫学序説』(九州大学出版会,2015年)の出版により日本森林学会賞受賞。 武満徹の作品紹介など音楽評論も行う。
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研究内容・業績
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「アウグスト・シュライヒャー」の記事における「研究内容・業績」の解説
シュライヒャーの考えには独断的な部分も多いが、系統樹説は以後の印欧語研究に決定的な影響を与え、現代まで続く比較言語学の基本的な考えとなっている。また印欧祖語の再構を試み、推定した祖語を用いて寓話を記した。
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研究内容・業績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 22:43 UTC 版)
原始保型形式の理論の創始 特異点の変形のモジュライ上の周期写像によって平坦構造を発見した。量子コホモロジー環と非常によく似ていて、それらを統一的に扱うフロベニウス多様体は現在の数理物理学(特にミラー対称性)において重要な役割を果たしている(とされる)。さらには消滅サイクル束のホッジ理論まで考えている。 孤立特異点の複素解析学(井上学術賞) 特異点のルート系やルート系の表現論 独自の可積分系を構築しようとしている
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研究内容・業績
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研究内容・業績
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「ヨハネス・ヴァイス」の記事における「研究内容・業績」の解説
ヴァイスの大きな貢献の一つは、終末論的観点からの福音書の包括的な釈義を最初に提示したことである。 ヴァイスは新約学に聖書批評学の概念を適用した。それはルドルフ・カール・ブルトマンを初めとする後継の学者たちによって発展された。ヴァイスは『コリント人への手紙第一』は一つの手紙ではなく、使徒パウロのいくつから手紙からの抜粋の寄せ集めであると考えた。 また、『マタイの福音書』と『ルカの福音書』の著者が使用したという資料の仮説に「Q資料」の名前を与えた。
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研究内容・業績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 06:49 UTC 版)
雑誌『KODAI』の編集長として、日本の古代西洋史研究を海外へ紹介する。 日本西洋古典学会委員、地中海学会会長。
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研究内容・業績
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専門は古代ローマ史。西洋史研究会、日本西洋史学会、キリスト教史学会等に所属。
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研究内容・業績
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研究内容・業績
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専門の印欧語のみならず、世界の古今東西の言語にもまた通じていた。特に戦前3回にわたって実地調査を行ったマライ=ポリネシア諸語においては、それまで世界の学者が漠然と考えていた系統問題を、確立された方法論を以て解明した。 言語を表面的に取り扱うのみでは充分ではなく、その基盤には常に「哲学」がなくてはならないとの考えを持っていたことで、『フンボルト』(その改訂版『言語研究とフンボルト』)の著作がある。
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研究内容・業績
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シチェルバは、言語活動を談話と理解の諸過程の総体とみなした。話し言葉にとっては、対話がもっとも自然な形式であり、独り言はそうではない著しく人為的な形式であると考えた。この発想がヴィゴツキーらによる思考と言語の相関研究の重要な起点の一つとなった。ロシア語の学術語辞典や露仏辞典の中で語彙の諸問題を研究し、さらに、学術語文典書の作成の過程で、シンタグマや品詞の理論を展開した。
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研究内容・業績
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「ガブドルハイ・アハトフ」の記事における「研究内容・業績」の解説
彼は約200の科学論文を発表している。これらの作品は、言語学の世界に重要な貢献である 。 彼の学問的研究は世界で認められている(東京で国際言語学者会議、1982年)
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研究内容・業績
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「ヴァルター・ジーモン」の記事における「研究内容・業績」の解説
ジーモンのもっとも有名な業績は、中国語の中古音で母音で終わる音節(陰声韻)の多くが上古音では子音で終わっていたと考えたことである。この仮説はカールグレンの採用するところとなり、その後の中国語研究に大きな影響を与えた。 ジーモンは盛んに中国語とチベット語の比較言語学的研究を行った。 ジーモンは中国の国語ローマ字を支持し、国語ローマ字を使って啓蒙的な著作を書いた。『The New Official Chinese Latin Script, Gwoyeu Romazyh』(1942)、『A beginner's Chinese-English dictionary of the national language (Gwoyeu)』(1947)など。後者は『岩波中国語辞典』のように中国語の単語を漢字によらずに配列した辞典であった。ジーモンには「而」に関する一連の論文があり、国語ローマ字では「而」を erl と書くので、「Erl-King」というあだ名をつけられたという。
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研究内容・業績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 15:01 UTC 版)
1900年(明治33年)、帰国すると同時に京都帝国大学医科大学の病理学教室初代教授に任ぜられる。彼は1930年(昭和5年)までその任についた。寄生虫病の研究に力を入れ、特に日本住血吸虫症の解明につながる重要な発見として、1904年(明治37年)5月30日、藤浪は広島県片山地区(現広島県福山市片山)に住む患者の肝門脈内に尾部が断裂した一匹の雌成虫体を発見した。岡山で桂田富士郎が山梨県中巨摩郡大鎌田村二日市場(現甲府市大里町)の開業医三神三朗の飼い猫から得た検体に、初めて一匹の雄成虫体を発見した4日後のことである。さらに日本住血吸虫については、当時まだ不明だった生活環を解明するため、1909年(明治42年)、片山地区の有病地において、金沢医学専門学校(現金沢大学医学部)の中村八太郎および片山地方の開業医吉田龍蔵と共にウシを用いた実証実験を行い、病原虫の経皮感染を証明した。この結果は同病の予防につながる大きな発見だった。 藤浪の最も著明な業績は、移植可能な家鶏肉腫の病理についての実験腫瘍学的研究である。
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研究内容・業績
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「ピーター・ブラウン (歴史学者)」の記事における「研究内容・業績」の解説
ブラウンは、少なくとも15の言語を読解し、32歳にして『ヒッポのアウグスティヌス伝』研究で認められた。執筆の基本的性格は変わることなく、古代末期研究において最も著名な歴史家で、著書は各国語に訳されている。聖人や宗教運動に特色を持つとする「古代末期」という概念を創設し、広く認知させた。 1971年、初期著作『古代末期の世界』において、ブラウンは3世紀から8世紀に跨っているとする古代末期という新しい時代区分を提唱した。それまでの伝統的史観は、エドワード・ギボンの『ローマ帝国衰亡史』以後の一連の研究に描写される黄金時代(所謂ローマ最盛期)からの古代市民社会の衰退という面を中心に描かれるものであった。これに対し、ポジティブな面からこの時代を評価する新しい観点を提案し、古代末期は巨大な文化的な変革の時代であった、とする見解で新しい論争を引き起こした。 ブラウンの初期の研究には、フェルナン・ブローデルがこの分野について描写した『フランス年代史研究』の影響が見られ、ブラウンはそこで文化や宗教を、社会情勢や広範な歴史の変動や移行の具現として分析している。とりわけ史学的理解の手法で、同時代の英米の研究動向の影響も大きく、文化人類学や社会学との関わりの中に、その研究分析の傾向は見い出せる。 またその考察は、主に末期ローマ世界の宗教的な変容に割かれており、この「聖人」の構図に関係したテーマにおける業績は、評価の多くを占めている。ブラウンによれば、カリスマ的存在であったキリスト教修道士(聖人)が、古代末期の東西ローマ世界において地域社会や教会の仲介者として際立っている、とみなす。さらには、こうした関係性は、後にはキリスト教聖者によって引き継がれていくローマの社会構造におけるパトロネジの重要性を示している、とされる。しかしより大切なのは、聖人の出現は、キリスト教圏のみならず古典古代の諸宗教の影響を受けた大きな宗教的変化の結果である、としていることにある。ただし、彼のこうしたものの見方は、この8年の間に微妙に変化しており、彼は新しい著書や投稿の中で、多くの宗教の外観を再構成した自身の初期の研究には、再検討が必要である、と言っている。 後期の研究では、特にキリスト教の階層社会を研究の主題に据え、深い洞察を示している。その著書『主体と社会』において、彼は初期のキリスト教の習慣の研究についての斬新なアプローチを試み、そこにはピエール・アドーとミシェル・フーコーの業績である『セクシュアリティの歴史』の影響が見られる。 最新の研究では、特にキリスト教系執筆者の記録から、古代末期の富や貧困について焦点を当てた著述である。
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研究内容・業績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/07 03:26 UTC 版)
インド哲学・仏教学を専攻。語学にも非凡な才能をあらわした。 1948年2月に発病したが、『私の読書法』(岩波新書、初版1960年)の収録エッセイに、病床での読書の様子がしのばれる。弟子の一人宮坂宥勝の『密教への誘い』(人文書院)に追悼評伝がある。
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研究内容・業績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/09 05:59 UTC 版)
元の「全相平話」や明の白話小説集『古今小説』(「三言」の一書)を再発見するなど、中国近世の小説・戯曲の研究・紹介に多大な業績を残した。また『新字鑑』は標準的な漢語辞典として長く愛用された。
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研究内容・業績
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「ウラジーミル・アドラツキー」の記事における「研究内容・業績」の解説
カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスの全集(Marx-Engels-Gesamtausgabe、いわゆる旧メガ)やウラジーミル・レーニンの全集の編集責任者を務めた。『国家論』『イデオロギー論』などの著作がある。
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研究内容・業績
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「パウル・キルヒホフ (地理学・人類学)」の記事における「研究内容・業績」の解説
彼の業績として知られるのは、メキシコと中央アメリカの民族誌、民族、民俗習慣に関しての研究を行って、高度な農耕文化に支えられた文明が発展した地域について「メソアメリカ」という概念を提唱したことである。彼は1972年にメキシコシティで亡くなったが、メソアメリカの概念は、それを提唱した彼の名前とともに記憶され、メキシコからパナマまでの地域の人類学、考古学を研究する上で重要な概念として用いられている。
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研究内容・業績
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「ミハイル・アルタモノフ」の記事における「研究内容・業績」の解説
青銅器時代から中世まで、ドン川から北コーカサス、ウクライナにわたる、多くの遺跡の発掘調査をした。9世紀サルケル遺跡(ru:Саркел)の調査により、ハザールの研究の進展に寄与した。
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研究内容・業績
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「アナトリー・デレビヤンコ」の記事における「研究内容・業績」の解説
シベリアならびに極東地域の石器時代の研究者として知られ、数多くの発掘調査を率いている。デニソワ人の発見者として知られる。
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研究内容・業績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 07:00 UTC 版)
音韻学者としては表音文字の導入を推進した。著書に『等韻一得』がある。 またドイツ人宣教師リヒャルト・ヴィルヘルムが『易経』をドイツ語に翻訳するのに協力した。
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研究内容・業績
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「エフィム・ゼルマノフ」の記事における「研究内容・業績」の解説
専門は代数学(特にジョルダン代数、非結合的代数、無限離散群、副有限群) 有限次元ジョルダン代数の結果を無限次元に拡張した。 制限バーンサイド問題の解決。
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研究内容・業績
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「エドゥアルト・アウグスト・フォン・レーゲル」の記事における「研究内容・業績」の解説
生涯を通じて3,000を越える新種の植物を記載し命名した。多くはロシアで働いた時代に、ロシアの探検隊が極東やアジアから植物園にもたらした植物である。
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研究内容・業績
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「ジョージ・エイブラハム・グリアソン」の記事における「研究内容・業績」の解説
グリアソンは学術的著作を生涯出版しつづけた。主な研究は、ビハールの方言や農民の生活、ヒンディー語文学、バクティ、言語学についてなど。 同時代の学者はグリアソンが不二一元論に冷淡であることを批判した。グリアソンは不二一元論を「パンディットの宗教」とみなしていたが、一方でグリアソンは「地方の民衆の一神教的な信心への暖かい評価」を明かにした。 グリアソンの晩年の著作の大部分は言語学に関するものである。グリアソンの生涯を称える記事において、F・W・トーマスとR・L・ターナーは、インド言語調査に関する大量の出版物を「インドの言語学的植物学の体系的な分類を表す巨大な帝国博物館」と呼んでいる。
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研究内容・業績
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「ミハイル・マッソン」の記事における「研究内容・業績」の解説
数多くの発掘調査を指揮した。 1936年~1938年:テルメズ考古学調査を含む考古学調査を行った。行った調査の中には大フェルガナ運河建設の際の考古学調査(1936年)がある。 1946年~1968年:STACE(南トルキスタン複合考古学調査)。 1963年~:KAE(タシュケント考古学調査)。
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研究内容・業績
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「セルゲイ・ヤホントフ」の記事における「研究内容・業績」の解説
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研究内容・業績
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「アレクサンドル・アルテミエフ」の記事における「研究内容・業績」の解説
専門は中世の考古学。若いころはイズボルスク要塞(ロシア語: Изборская крепость)などの調査や研究を進めたが、極東に移ってからはイルクーツクからアムール下流域にかけての東シベリアや極東地域の中世遺跡の調査と研究にあたった。日本ではティルのヌルガン永寧寺遺跡の発掘調査で知られ、報告書は日本語訳版が刊行されている。
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研究内容・業績
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李方桂は生涯に9冊の著書と、100を越える論文を書いている。 アメリカ・インディアンの言語の研究結果としては、カリフォルニア州北部で話されるアサバスカ系の Mattole 語(英語版)の研究『Mattole: An Athabaskan Language』(1930、博士論文を著書にまとめたもの)がある。その後 Mattole 語は死語になったため、李方桂の記録がこの言語を知るための唯一の手掛りとなった。他にカリフォルニアの Wailaki 語(英語版)、カナダ北部の Hare 語(スレイビー語の一種)、アラスカのイヤック語などを調査している。 1930年代以降に行ったタイ・カダイ諸語の調査結果は後に『竜州土語』(1940)、『莫話記略』(1947)、『武鳴土語』(1956)、『水話研究』(1977)などの著作にまとめられた。 1977年の『A Handbook of Comparative Tai』はタイ祖語をはじめてしっかりした形で構築した著作である。 1937年の『The Chinese Year Book』中の記事「Languages and dialects」で示したシナ・チベット語族の分類は後世への影響がきわめて大きかった。小川環樹による邦訳がある。 中国語の歴史的研究の方面では、1930年代にカールグレンの『Études sur la phonologie chinoise』を趙元任・羅常培とともに中国語に翻訳しているほか、「切韻 â 的来源」(1931)以来、上古音に関する研究を発表した。「Some Old Chinese Loan Words in the Tai Languages」(1945)は10ページしかないが、タイ諸語の十二支を表す中国語からの古い借用語を上古音の推定に利用してみせた画期的な論文であった。上古音に関する研究は1971年の『上古音研究』にまとめられ、母音体系や音節頭の子音連結などに問題の多かったカールグレンの体系にかわる代表的な上古音の再構として、1990年代に新しい研究が出現するまでよく利用された。
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研究内容・業績
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「王力 (言語学者)」の記事における「研究内容・業績」の解説
王力の著書や論文は非常に多く、また分野も中国語に関するあらゆる分野にひろがっている。 『王力文集』(山東教育出版社1984-1991)は全20巻からなる著作集で、著書はこれに大体収められている。また、学術誌に載った主要な論文は『龍蟲並雕斎文集』(中華書局1980-1982、全3冊)で見ることができる。
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研究内容・業績
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「エドワード・サピア」の記事における「研究内容・業績」の解説
サピアが主に研究したネイティブアメリカンの言語はアサバスカ諸語であった。他にウィシュラム族、チヌーク族(英語版)、ナバホ族、ヌートカ族、パイユート族(英語版)、タケルマ族(英語版)、ヤナ族(英語版)の言語と文化についても研究を行なった。言語学全般に関する著作も数多く、『言語 ― ことばの研究序説』では、中国語からヌートカ語までを例に解説した言語類型論や言語の変遷、言語・人種・文化間の関連の恣意性などについての思索まで、幅広く論じている。音象徴の実験的研究の先駆けでもある。
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研究内容・業績
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「ミハイル・ゲラシモフ」の記事における「研究内容・業績」の解説
法医学や古生物学の成果に基づき、人類学や考古学の現代化を促した。とりわけ頭蓋骨の復顔の開発者として歴史に名を残している。1930年代初頭に、太古のヒト科の頭蓋骨を手に入れ、入念な測定や解剖学的な調査によって、頭蓋骨から元の顔を割り出すことができることを知った。1968年の自叙伝において当時のことを、機会さえあれば「昔の死者の顔に見入っていた」と回想している。 復顔術が、白骨死体の身元割り出しや殺人事件の解決に有力な手助けとなってからは、ゲラシモフは保存状態の良い歴史上の人物の遺骨を発掘し、念入りにその復顔に取り組むようになった。つまるところゲラシモフが調査し、復顔した人物の数は200名を超え、イワン雷帝やティムール、フリードリヒ・シラー、ヤロスラフ1世などがいる。後にゲラシモフの復顔術は世界中に広まり、ファラオやイエス・キリストの議論の多い復顔にも影響力を及ぼした。
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研究内容・業績
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専門は物理学史であり、『ペスト大流行』で感染症を解決しようと試みる科学者の試行錯誤を描き出しただけでなく、科学哲学の考察を加えた。「安全学」という言葉を作り、関連著書を出版している。 カトリック教徒。高校時代からチェロを演奏し、アマチュア・オーケストラでの在籍・演奏経験があるためクラシック音楽に関する造詣も深い。青木十良の門下生である。2008年3月に東京の紀尾井ホールで開催した国際基督教大学の退任記念コンサートでは、交流がある美智子皇后も会場に訪れた。
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研究内容・業績
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「ベルトルト・ラウファー」の記事における「研究内容・業績」の解説
とくに中国とその周辺のさまざまな文物に関する研究が多い。当時のアメリカには中国研究者といえる人物がほとんどいない中、ラウファーの研究は異彩をはなっていた。
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研究内容・業績
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人文地理学を専攻し、オセアニアなど南太平洋を中心にフィールドワークを進め、研究活動を行った。
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研究内容・業績
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ドイツ神秘主義などを研究するが、後半生は禅仏教に傾倒した。 宗教哲学以外の分野においても、芭蕉、寒山詩やトルストイ、リルケに関する考察や随筆も多く残している。また、学生時代には、リヒャルト・デデキントの『数とは何であるか、何であるべきか』を読むなど、数理哲学への関心を有していたようだが、その方面で論文を書くことはなかった。 出生地である宇出津には、「西谷啓治記念館」がある。 高坂正顕、高山岩男、鈴木成高と共に「京都学派四天王」と呼ばれている。
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研究内容・業績
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31歳の時の著書『ヘーゲル』は、高坂正顕の『カント』とともに、後に廣松渉によって、同時代の研究書として世界最高水準と評価され、両書が外国語で書かれなかったことを惜しまれた。 「文化類型学」、「哲学的人間学」などへと思索の領域を広げながら、歴史哲学へと踏み入り、『世界史の哲学』を著す。第二次世界大戦のさなか、1942年(昭和17年)から翌年にかけて『中央公論』誌上で、「世界史的立場と日本」座談会(「世界史的立場と日本」昭和17年1月号、「東亜共栄圏の倫理性と歴史性」昭和17年4月号、「総力戦の哲学」昭和18年1月号)を京都大学の同僚、高坂正顕、西谷啓治、鈴木成高と行い、戦争を大東亜共栄圏の建設という至上の理想、「近代の超克」のために止むを得ないものと肯定した。特に海軍に対し、協力的な姿勢を示した。陸軍に協力を強要されるくらいなら、よりリベラルな海軍と手を結んで、という彼らの思惑もその背後にはあった。 1951年に後半生に提唱した『場所的論理と呼応の原理』弘文堂を発表する。月刊心(1948年-1981年)に常連参加した。 高山は、静岡新聞などにコラムを執筆する傍ら、神奈川大学の創立者・学長米田吉盛の要請で神奈川大学法経学部教授に就任、米田吉盛の提唱した「質実剛健と積極進取、神大建学精神」の主張は、高山岩男の「呼応の理論」に合致する内容であり、在籍中に『宗教はなぜ必要か』 創文社 1953年(フォルミカ選書)、『現代の不安と宗教』創文社 1955年、『協同社会の精神』協同組合懇話会 1955(協同主義叢書)を著述発表。当時、左翼学生運動の過激化する時代背景において、『中立の過去と現在 国際的中立の研究』大学出版協会 1956年、『保守主義と進歩主義』日本文化連合会事務局 1959年、『国際的中立の研究』日本文化連合会 1961年を次々に著述発表している。神奈川大学を去ってからも、混乱した状態にあった安保闘争や当時の他大学の状況を踏まえ、米田吉盛の要請で1963年『神奈川大学の建学精神の神髄解明』をまとめた。 その後も日本大学・東海大学などで教職を歴任、最後は秋田経済大学(のち秋田経済法科大学、ノースアジア大学に改称)の学長を務める。晩年は、東海大学に在籍した。当時、京都大学の同窓の小原國芳の依頼で玉川大学大学院に係わるようになり、広義の哲学的人間学、教育学への関心を深めた。その中心には、田辺元の「種の論理」に対して、自ら提唱した「場所的論理と呼応の原理」が据えられている。 高坂正顕、西谷啓治、鈴木成高と共に「京都学派四天王」と呼ばれている。 京都大学時代の教え子には、武内義範、大島康正、上山春平、辻村公一などがいる。
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研究内容・業績
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古代インド研究のほか、近現代のカースト制度やアンベードカルに関する研究も行った。
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研究内容・業績
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タミル語刻文研究の世界的権威である。また「南アジア地域研究」の第一人者的人物であり、この領域の開拓・発展への貢献も大きい。南インド史や南アジア史の研究者として、アジアを代表する学者と位置づけられる。辛島によって、南インド史は書き換えられたとも評される。 南アジア中世史から現代インド社会まで、さらには日本で誤解されがちな「インドのカレー事情」・食文化について記した読み物を手掛けるなど、研究の幅も広い[要出典]。
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研究内容・業績
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日本における歴史研究に社会史の手法を取り入れた最初期の人物の一人である。 『史記』と『漢書』などを分析し、古代中国人行為規範に任侠精神を見出し、前漢の遊侠の持つ任侠精神は、全ての人間関係に敷衍されており、皇帝と官僚の関係も任侠精神に基づくとした。 また川勝義雄による貴族の淵源を後漢末、党錮の禁の際の清流勢力に求める論考を批判した。
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研究内容・業績
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世界史的な視座に立って考古学と文献史学を統合した「古代学」を提唱。したがって、研究分野は文献史学と考古学の両分野におよんだ。主要な研究テーマは、日本の奈良・平安時代史、古代学方法論、古代ギリシア・ローマ考古学、ヨーロッパ・アフリカの旧石器考古学、ユーラシア北方考古学など広範囲に及ぶ。
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研究内容・業績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 14:19 UTC 版)
日本近世思想史や明治維新史の研究を手がける。1960年代に入ってからは一般向けの歴史読物の執筆が多くなり、それとともに左翼的主張が影を潜めていった。後年は戦国時代の一般書を多く出版し、「日本歴史の旅」『日本歴史の旅 戦国コース』(新人物往来社)などは広く読まれ、戦国史を啓蒙した書籍である。
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研究内容・業績
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主に続縄文時代から擦文時代にかけてのオホーツク文化の考古学研究に長く携わり、その道の権威である。東京大学の教授であったが、そのキャリアの大半を常呂町にある北海文化研究常呂実習施設で過ごした。 山田秀三のエッセイや司馬遼太郎の紀行文集『街道をゆく』にも登場する。
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研究内容・業績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 15:15 UTC 版)
ニーチェ研究者として出発したが、以後、現代ドイツ政治に対する哲学的検討に移行する。
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研究内容・業績
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「クリストファー・W・A・スピルマン」の記事における「研究内容・業績」の解説
専門分野は日本近代政治思想史。特に平沼騏一郎や大川周明、北一輝、満川亀太郎など、第一次世界大戦から第二次世界大戦までの日本のナショナリズムやアジア主義を研究している。
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研究内容・業績
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本人が「私の考古学はただの考古学ではない。考古民俗学(または民俗考古学)だ」と言うように、文献史学・民俗学・考古学三位一体のスケールの大きな古代研究が特徴。神道考古学を体系化した。 折口信夫の五博士のうちの一人。 主著は『大場磐雄著作集』全八巻など。
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研究内容・業績
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「デビッド・K・ワイアット」の記事における「研究内容・業績」の解説
東南アジア史の特に現在のタイ王国の歴史の専門家である。彼の著書、Thailand. A Short Historyは英語で書かれたタイ史の名著とされ1982年に初版が出てから現在もなお刊行され続けている。 かれの研究は石井米雄が回想して述べているように一次史料の重要性に重きを置いたものであった。 15000点にも及ぶ収集文献を2005年にオハイオ大学の東南アジア・コレクションに売却した。
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研究内容・業績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 00:20 UTC 版)
代数曲線におけるグロタンディーク予想(遠アーベル幾何予想)を予想を超えた形で証明。p 進タイヒミュラー理論の構築、楕円曲線のホッジ・アラケロフ理論の構築、曲線のモジュライ空間の既約性の別証明、数論的小平・スペンサーの変形理論(英語版)、Hurwitz スキームのコンパクト化、crys-stable bundle の構成、数論的 log Scheme 圏論的表示の構成、宇宙際幾何 (うちゅうさいきか、inter-universal geometry) の構築。1998年の ICM では招待講演をしている。著作に Foundations of p-adic Teichmüller Theory がある。
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研究内容・業績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 01:58 UTC 版)
東南アジア(主にタイ、ラオス)を中心にフィールドワークを進め、現地の生活・文化を研究した著作、日本文化に関連した著作がある。独自のアニミズム論を構築したことで広く知られている。主要著作は『岩田慶治著作集』(講談社・全8巻)に収められている。2013年2月17日、肺炎により死去。91歳没。 指導学生に関根康正(関西学院大学教授、第26期日本文化人類学学会会長)。
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研究内容・業績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 23:43 UTC 版)
ラテンアメリカの歴史と文化を専攻し、師泉靖一のインカ文化・アンデス文明研究を引き継いだ。
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研究内容・業績
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「R・A・D・フォレスト」の記事における「研究内容・業績」の解説
主著『The Chinese Language』(初版1948, 第2版1965, 第3版1973) は中国語とその歴史・方言・周辺の諸言語の概要と中国語との系統関係などを包括的に扱った概説書。現在では内容が古くなっているが、かつては中国語に関する英語で書かれた代表的な概説書だった。 この著作の中でフォレストは、いくつかの独創的な考えを述べている。たとえば中国語の量詞の発達が中国語以外の言語からの影響によるもので、後には同音語の区別のために発達したとする説(第3版p.173)など。方言に関しては山西省南部を中心とする晋語を北方方言から独立した方言と考えたが、その中に甘粛省東部や陝西省の方言を含めており(第3版p.217およびp.224以下)、閩語の読書音はこの方言に由来するとした(第3版p.251)。 それまでチベット・ビルマ語の一種と考えられていたペー語(民家)について、閩語に関係があるという説を唱えた(第3版p251以下)。ミャオ・ヤオ語族についてはモン・クメール語族と同系であるとする説を支持した(第3版p.95以下)。 フォレストは、ほかにシナ・チベット語族の系統関係や中国語上古音に関する論文を書いている。
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研究内容・業績
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「エドウィン・プリーブランク」の記事における「研究内容・業績」の解説
博士論文をもとにした1955年の『安禄山の乱の背景』(The Background of the Rebellion of An Lu-Shan)により、プリーブランクははじめ唐代史の研究者として知られた。歴史学者としては匈奴・突厥などの北方民族や西域の研究が多い。 1960年代から中国語音韻史に研究の中心を移した。1962年に漢字借音から上古音の体系を見なおした長文の「古代中国語の子音組織」を書いている。プリーブランクは音韻再構にベルンハルド・カールグレンの使用しなかった漢字による音訳や李賀・寒山などの詩の押韻を利用した。 プリーブランクの上古音の再構では音節頭にカールグレンの指摘しなかった多数の子音結合を認め、また去声の語末がもと -s で終わっていたというアンドレ=ジョルジュ・オドリクールの説に実例を与えた。 プリーブランクは中世の等韻図の表す音韻体系が『切韻』の体系と違っていることを重視し、等韻図の表す体系を「Late Middle Chinese (LMC)」、『切韻』の体系を「Early Middle Chinese (EMC)」と呼んで区別した。LMCの体系は1970年代はじめに発表した。1984年の著書『Middle Chinese』では大きく改訂した LMC とともに EMC の体系を発表した。 Middle Chinese: A Study in Historical Phonology. University of British Columbia Press. (1984) またピンインから EMC, LMC, 早期官話音を検索できる辞典も作った。 Lexicon of Reconstructed Pronunciation in Early Middle Chinese, Late Middle Chinese and Early Mandarin. University of British Columbia Press. (1991) プリーブランクは干支を古代中国語の表音文字であったと考えて、それをもとに22(10+12)の語頭子音が上古音にあったと考えた。 音韻のみでなく文法に関してもいくつかの論文を発表していたが、晩年に著書が発表された。 Outline of Classical Chinese Grammar. University of British Columbia Press. (1995) 邦訳 『古漢語語法概論』佐藤進監修、小方伴子、槙美貴訳、二松学舎大学21世紀COEプログラム、2009年。
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