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堅田剛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/28 10:06 UTC 版)

堅田剛
人物情報
生誕 (1950-01-27) 1950年1月27日
日本栃木県宇都宮市
死没 2015年2月27日(2015-02-27)(65歳没)
日本東京都
出身校 上智大学
学問
研究分野 法学(法制史)
研究機関 獨協大学
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堅田剛(かただ たけし、1950年1月27日-2015年2月27日)は、法制史学者、獨協大学教授。

経歴

出生から修学期

1950年、栃木県宇都宮市で生まれた。上智大学法学部で学び、1975年に卒業。明治大学大学院法学研究科に進み、1980年に博士課程を満期退学。

法制史研究者として

卒業後は獨協大学法学部講師に就いた。後に助教授、教授昇格。同時に、明治学院中央大学埼玉大学でも非常勤講師も務めた。

ベルリンの壁崩壊の後の1990年から1991年まで、旧西ドイツ(1990年10月からはドイツ連邦共和国)のハイデルベルク大学哲学部に研究留学[1]。1992年、学位論文『歴史法学研究:歴史と法と言語のトリアーデ』を明治大学に提出して法学博士号を取得[2]。2000年4月から2004年3月まで獨協大学法学部学部長、2000年4月から2004年3月と2011年4月から2012年3月に獨協大学大学院法学研究科委員長を兼任で務めた。2013年4月から2014年3月まで、明治学院大学法学部非常勤講師として法思想史を講じた。2015年2月27日、独協医科大学病院にて病没。

受賞・栄典

  • 1985年:『法の詩学』でヨゼフ・ロゲンドルフ賞を受賞。
  • 2008年:論文『吉野作造と鈴木安蔵 五つの『絶筆』をめぐって』で、吉野作造生誕130年没後75年記念最優秀論文賞を受賞。

研究内容・業績

専攻は法思想史・法哲学[3]

著述

著書
論文
  • 『独逸学協会とドイツ法学:加藤弘之および穂積陳重との関連で』 1995
  • 『加藤弘之の国法学:ブルンチュリ『国法汎論』との関連で』 1996
  • ロェスラーと独逸学協会:明治憲法との関連で』 1997
編著
  • 『加害/被害』編、国際書院(法文化叢書-歴史・比較・情報-) 2013
訳書
  • 『歴史とメタファー:社会変化の諸相』ロバート・A.ニスベット著、紀伊国屋書店 1987
  • 『「独逸協会学校」教師としてのゲオルク・ミヒャエリス:『国家と国民のために』より』 2004-2005
  • 『詩人法律家』オイゲン・ヴォールハウプター英語版著、編訳、御茶の水書房 2012
  • ゲーテサヴィニー:続詩人法律家』オイゲン・ヴォールハウプター著、編訳、御茶の水書房 2013

参考文献

注釈

  1. ^ #独協大学『目録』
  2. ^ CiNii(学位論文)
  3. ^ 『現代日本人名録』2002年



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