穂積陳重説とは? わかりやすく解説

穂積陳重説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 21:34 UTC 版)

民法典論争」の記事における「穂積陳重説」の解説

穂積陳重からは、感情論学閥争いという面は認めつつも、ドイツの法典論争との共通性重視し、その学問的性格強調する見解主張されており、後世にも一定の支持がある。 延期戦は単に英仏両派の競争より生じた学派争い如く観えるかも知れぬが、この争議原因は、素もと両学派執るところの根本学説の差違存するであってその実自然法派と歴史派との争論に外ならぬのである由来フランス法派は、自然法学説を信じ、法の原則は時と所とを超越するものなりとし、いずれの国…時においても、同一根本原理拠り法典編纂し得べきものとし、歴史派は、国民性時代などに重きを置くをもって自然法学説を基礎とした…法典反対するようになったのは当然の事である。故にこの争議は、同世紀初においてドイツ生じたる、サヴィニーティボー法典争議とその性質において毫も異なる所はないのである延期断行論争頗る激烈で…随分大人気ない事もあったけれども…根本所信学説相違より来た堂々たる君子争であったのであるから、この争議の一たび決するや、両派は…手を携えて法典の編纂従事し同心協力して同胞良法典を与えんことを努めたるが如き、もってその心事光風霽月比すべきものあるを見るべきである。 — 穂積陳重『法窓夜話97話 ただし、この説の理解学者によって異なり(一)ドイツの法典論争を純粋の学問的論争理解した上でブルジョワ自由派対する半封建派の争いであるからティボーサヴィニー争いではなくティボーとレーベルクの争い相当する主張するもの(平野英仏両派の争い止まらず各種政治上の問題絡んだものだからドイツの法典論のような純粋の法理戦ではないと批判するもの(星野福島岩田新)、 (二)ドイツの法典論争もまた純粋の学問的論争ではなく、一民・一国一法律を巡る政治上の争い理解した上で、 陳重の認識でも日本の民法典論争は純粋の学問論争ではなく、「白刃既に交わる」文字通り戦争だったが(法窓夜話97話)、日独法典論争はいずれ政治上の闘争ありつつも法の根本的な理解相違根差すという意味で、確かに同一だとするもの(堅田剛)、 がある。

※この「穂積陳重説」の解説は、「民法典論争」の解説の一部です。
「穂積陳重説」を含む「民法典論争」の記事については、「民法典論争」の概要を参照ください。

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