荒川高俊
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荒川 高俊(あらかわ たかとし、1856年(安政3年)- 1889年(明治22年))は 自由民権運動家。栃木県(下野国)黒羽藩出身。
大関私立作新館に学び、私塾東京学館(宮武外骨の兄・宮武南海の学校)の英語教師を経て[1]民権結社の北辰社を設立し、民権論を広めた。また、1889年(明治22年)には、新井章吾・大井憲太郎らとともに非政社派大同協和派を組織した。
脚注
- ^ 『明治文化研究会と明治憲法: 宮武外骨・尾佐竹猛・吉野作造』堅田剛 御茶の水書房, 2008、p127
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